アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
朝鮮戦争 無差別爆撃の出撃基地・日本
朝鮮戦争は1950年6月25日、北朝鮮軍が北緯38度線を越えて韓国に侵攻して、1953年7月27日に停戦協定が締結されるまで3年1カ月にわたって行われた戦争です。
今年の7月23日は、朝鮮戦争の停戦協定が結ばれて70周年になります。しかし、70年が経った今も平和条約は締結されておらず戦争状態は依然として続いています。
朝鮮戦争について、著者は以下のように評価しています。
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朝鮮戦争は日本にきわめて大きな影響を与えた。警察予備隊から保安隊─自衛隊という再軍備がおこなわれ、憲法九条が政治の争点となる。米国は日本を冷戦のために経済的に利用するにとどまらずその軍事的役割を求めるようになる。日本の支配層の平和憲法や戦後民主主義への敵視と米国の冷戦政策が合わさって逆コースが進められ戦後の非軍事化・民主化の改革が突き崩されていった。戦争責任や植民地責任をあいまいにしながら米軍基地を受け入れるサンフランシスコ平和条約と日米安保条約が結ばれ、米軍基地が独立回復後も維持されることになった。日本にいる朝鮮人を敵視し差別する政策が積極的に取られ制度化されたのもこの戦争中だった。
米国は、朝鮮戦争前は韓国や日本本土に米軍基地を置く構想はなかったので朝鮮戦争がなかったならば、日米安保条約があったかどうかも疑問であるし朝鮮半島の状況はまったく違ったものになっていただろう。ただし沖縄は米軍の軍事支配下に置かれ続けられただろうが、朝鮮戦争があったことによってその軍事負担は強められたと言えるだろう。
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本書は、著者の上記のような問題意識のもとで、日本(特に首都東京)と沖縄の基地からB29が北朝鮮に対して無差別爆撃をおこなった実態を米空軍資料から明らかにし、日本が朝鮮戦争に深く関わっていること、特に非人道的な爆撃の出撃基地であったことを日本社会の共通認識とし、朝鮮半島の平和実現のためへの日本の貢献について考える素材を提供することを目的として執筆されました。
著者は「朝鮮戦争を終わらせ平和を実現することは戦後の日本のあり方を大きく変える可能性を秘めている」「戦争を放棄したはずの戦後日本が加害意識の欠落に無自覚であり続けていること、朝鮮戦争をはじめ米国がおこなう非人道的な戦争行為に加担し続けていること、それどころか侵略戦争や植民地支配を正当化しようとする流れが日本の主流になってしまっている現状を深刻に反省し克服しなければならない」と提言しています。
はじめに
なぜいま朝鮮戦争か
米国の侵略や軍事介入に全面協力する日本
Ⅰ 朝鮮戦争の経過と日本の関わり
南北分断と事実上の内戦
朝鮮戦争の経過
日本の関わり
Ⅱ 朝鮮戦争の勃発と国連軍の反撃1950年6月─10月
1 朝鮮戦争に参戦した米空軍
2 爆撃機司令部とB29
B29の派兵と爆撃の開始
爆撃機司令部の発足と爆撃方針
爆撃機司令部指揮下のB29による爆撃の開始
爆撃と軍事目標
3 戦闘爆撃機による攻撃
避難民への爆撃
ナパーム弾による攻撃
パイロットたちの証言
Ⅲ 中国人民義勇軍の参戦と停戦交渉下の爆撃
1 中国人民義勇軍の参戦と無差別爆撃の本格化1950年10月─1951年4月
無差別爆撃の本格化
ナパーム弾と焼夷弾
平壌への大爆撃
原爆使用問題
2 停戦交渉下の絞殺作戦・集中砲火作戦1951年5月─1952年4月
「絞殺作戦」の開始
夜間爆撃への転換一九五一年一〇月以降
ショランによる爆撃
生物化学兵器問題
B29墜落事故
Ⅳ 政治的圧力のための爆撃
1 破壊による航空圧力の強化1952年5月─1953年7月
阻止作戦の総括と新作戦の立案
圧力ポンプ作戦
政治的圧力のための爆撃
2 水力発電所の爆撃
北朝鮮の水力発電施設
水力発電施設への爆撃
B29による水力発電施設爆撃
3 あらゆる建造物を破壊する爆撃
町や村、集落への爆撃
自己目的化する建物の破壊
4 灌漑ダム爆撃1953年5月─6月
農民や稲作も軍事目標
洪水を意図した灌漑ダム爆撃
5 最終盤の航空作戦1953年6月─7月
Ⅴ 総括 朝鮮戦争における爆撃
1 爆撃の総括
爆撃の全体概要
何を爆撃したのか
徹底して破壊された北朝鮮の町村
朝鮮戦争の犠牲者数
出撃基地となった日本・沖縄
米空軍への日本の支援
無差別爆撃の根幹にある植民地主義と人種主義
2 その後
核出撃基地化する日本
朝鮮戦争が与えた影響
おわりにかえて
巨大米軍基地群の日本
強国の横暴を防ぐために
参考文献