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アジア新風土記(53)スハルト体制崩壊から25年
著者紹介 津田 邦宏(つだ・くにひろ) 1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。 |
1998年5月、インドネシアのスカルノ・ハッタ空港から首都ジャカルタへ向かう高速道路は貧しい人たちの家ともいえない家の間を縫って走っていた。
コンクリート造りの巨大な道路はスハルト大統領の開発独裁体制の成果を誇り、その下に沈むスラムは取り残されたままだった。
タクシーの中から繁栄の恩恵に与れなかった人々の暮らしを垣間見ながら、貧富の差が拡大の一途をたどったこの国のことを漠然と考えていた。
66年3月に全権を掌握してから32年間続くスハルト時代の終焉までは想像できなかった。
1998年のインドネシアは年明けから学生らが大統領批判デモを行うなど退陣を迫る動きが加速していた。97年のアジア通貨危機によって主要通貨ルピアが大幅に下落、経済システムが破綻したことが背景の一つにあった。
燃料などの公共料金の値上げが5月4日に発表されると各地で抗議デモが起こり、スマトラ島・メダンでは住民と治安当局の衝突で6人が死亡、80人以上が負傷した。
ジャカルタの混乱は日一日と拡大していった。
大統領が「値上げ撤回せず」の言葉だけを残してカイロのG15首脳会議に臨んだことも事態の悪化につながったかもしれない。
学生たちは国会前に座り込み、トリサクティ大学構内での学生と治安部隊の衝突で学生ら7人が死亡したほか、20人近い学生が行方不明になった。
暴徒化した住民らは警官に投石、商店の焼き討ちが相次いだ。
ショッピングセンターは放火され、商品を略奪しようとした500人が逃げ遅れる。犠牲者は病院の遺体安置所に次々に運び込まれ、遺体の入った黒いポリ袋には見つかった場所を書いた紙が貼られていった。
中華系住民が多く住むコタ地区でも華人の商店が襲われた。
主要道路は鉄条網が張られ、自動小銃を手にした兵士が警戒にあたり、要所には装甲車、戦車が配置された。バス、タクシー、一般車両はほとんど走っていない。
情報当局からは各放送局に暴動ニュースの禁止指示が出され、大統領も予定を切り上げて帰国したが、局面の打開、収拾はすでに難しかった。
5月21日のスハルト大統領辞任のニュースは、その日朝のホテルで地元紙の特ダネで知る。
英字紙「ジャカルタ・ポスト」が1面トップで伝える「大統領辞任の意向」の記事を読みながら、前日まで歩いた硝煙の臭いがなお残る大学の構内、放火され、略奪された商店の風景が頭によぎった。
混沌とした社会の中で変革を求めた学生、市民らは状況をどう受け止めるのだろうかと思った。
歴史が動く瞬間は1997年7月1日の香港返還で経験していた。
香港の街も人もみな、その転換点に立ち会うことが予定されていた。
ジャカルタは全く違っていた。大統領は直前まで即時辞任を否定していた。
唐突の体制崩壊を示唆する動きもなく、声も聞こえてこなかった。
四半世紀以上にわたって国を支配してきた独裁者はなぜ、いとも容易くその地位を放棄したのか。
政治家らの思惑、国軍の離反など様々な要因があったことは確かだったとしても、権力が脆さ、危うさを常に抱えていることを改めて実感した。
インドネシアは東から西に約5000キロあり、米国の東海岸から西海岸までよりも長い。その間に名称のない島を含めて大小1万7000余の島々が点在する。
2億7000万の人口は世界4位。約300の民族が580を超す言語を話す。
宗教も圧倒的なイスラム教にヒンズー教、仏教と様々だ。
スマトラ島西端のバンダ・アチェでモスクに詣でる老若の男たちに出会った時、バリ島の集落の一角でヒンズーダンスを踊り続ける女たちに出会った時、一つの多民族国家として成立する不思議さを感じずにはいられなかった。
同時に多種多彩な人たちの歴史、文化を包み込む「多様性の中の統一」という国是の必要性に思い至る。
国是は民族、宗教、人種、階層といったセンシティブな問題を避ける、あるいは慎重に対処するといった不文律を生んだ。
独立以来培われてきた人々の共通認識はしかし、体制崩壊から25年が過ぎたいま、大きく変質しつつある。
「多様性」の重視を他に先駆けて実現してきたはずの国は、国際社会がようやく追いついてきたとき、その流れに逆行するかのような揺れを見せる。
イスラム系保守派の声が次第に強くなり、教義に忠実であるべきだという主張は多数意見となってきた。
教えに抵触するような言動は言い出しにくい環境に、一部の自治体は条例などで酒類の製造販売の禁止、女性公務員のスカーフ着用義務化といった具体的な「行動規範」を示し、異教の人たちの自由な社会生活を奪いつつある。
現在のジョコ大統領に勢いを止めるだけの力はない。
スハルト大統領の強権政治は国軍の力を後ろ盾にイスラム教徒の主張を抑え込み、国家の統一性を保ってきた。
一方で民主化が育んできた自由な社会は人々の寛容の心を失わせていく。
歴史は進歩するかという問いへの答えは見つからない。
2022年12月6日、インドネシア国会は未婚者同士の性交渉を禁じる刑法改正案を可決する。違反した場合の最高刑は禁錮1年、同居も最高で禁固6月の刑とした。
旧宗主国オランダの影響を受けた刑法は改正すべきだという意見はあるものの、イスラム的価値観を反映させるべきとする考えが大きかったのではないか。
改正案は男女の問題だけではなく大統領への「侮辱」、国家機関への「冒瀆(ぼうとく)」といった事犯も刑罰の対象とした。対象範囲は明確にされておらず、言論・信教の自由などの問題への恣意的な運用を懸念する声も聞かれる。
ジョコ大統領は2023年2月11日、1965年の9・30事件、スハルト大統領退陣時の暴動など12の事件について重大な人権侵害を認める。
刑法改正への海外からの批判に応えたとの指摘もある。
9・30事件はインドネシア共産党(PKI)系軍人の国軍幹部殺害をきっかけに、当局がPKIのクーデター未遂事件として弾圧に乗り出し、少なくとも50万人以上の市民らが虐殺された。
以後、共産主義、共産党は禁止されたままだ。
刑法改正案は各種規則の作成など実施までには3年はかかるといわれる。
人権侵害の認定がイスラム化の風潮の歯止めになるかはわからない。
国是はどこまで、そしていつまで人々の心を捉え続けられるか。