アジア新風土記(98)フィリピン前大統領の「罪」





著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。




2025年3月11日、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ前大統領がマニラ空港で国際刑事裁判所(ICC)の「人道に対する罪」容疑で逮捕され、本部のあるオランダ・ハーグ移送後の14日から判事の人定質問などの審理が始まった。

フィリピンは19年にICCを脱退したが、ICCは脱退前の犯罪行為として管轄権を認定、少なくとも43人の殺害に関与したとして訴追していた。




ドゥテルテ前大統領はフィリピン南部のダバオ市長時代に私設部隊による犯罪者への殺人行為を容認、16~22年までの大統領時代には違法薬物根絶を名目に6000人以上の超法規的な殺人が行われた「麻薬戦争」を主導したといわれる。

マルコス大統領はこれまでICCの逮捕状執行には消極的だった。
態度を変えた背景には大統領派と前大統領派の確執、対立があったことは想像に難くない。前大統領の犯罪を裁くという大義名分の前に政治的な思惑が透けて見えた。




マルコス大統領は父フェルディナンド・マルコス大統領,母イメルダ夫人の長男としてマニラに生まれる。

1965年からの約20年間独裁政権を続けた父の地盤であるルソン島北部の北イロコス州知事、上院議員を経て2022年に大統領に就任する。

ドゥテルテ前大統領は中部レイテ島の法律家の家に生まれ、幼少期にミンダナオ島第一の都市、ダバオに移った。
1988年から2016年まで通算7期ダバオ市長を務め、同年の大統領選で当選する。



22年の大統領選ではマルコス氏とドゥテルテ氏の跡を継ぐ長女サラ氏の戦いとみられたが、マルコス氏を大統領候補、サラ氏を副大統領候補とする妥協が成立、マルコス氏は圧勝する。両者が接近した確かな理由は不明だ。

40代のサラ氏に政治経験は少なく「次の次」を期待して譲ったという見方もある。ドゥテルテ氏がハワイで客死したフェルディナンド氏のマニラ首都圏内の英雄墓地への埋葬を認めたことも要因の一つだ。それまでの歴代大統領は埋葬を許可しなかった。


蜜月時代の破綻はマルコス氏の大統領就任直後から表面化する。
サラ氏は希望する国防相ポストを拒否されたうえ副大統領経費を削減されるなど不満を募らせ、24年11月のオンライン記者会見で爆発する。
「もし私が殺されたなら」という但し書きながら「大統領と妻、下院議長(大統領の従兄弟=筆者注)を殺すよう殺し屋を雇った」と発言するなど、関係は修復できないほど悪化していた。



25年2月25日、下院はサラ氏に対する機密費不正流用疑惑関与などを理由とした弾劾訴追案を承認する。弾劾訴追は上院に回され、全議員24人の3分の2以上の賛成によって可決される。

サラ氏には訴追阻止が困難と判断した場合、副大統領職を辞任する道も残されている。失職しても刑事事件で有罪判決が下されない限り、次期大統領選出馬の道は閉ざされていない。



ドゥテルテ氏は逮捕される直前、サラ氏とともに香港を訪問、3月9日の集会で出稼ぎ労働者らを前に自らの政治活動を国家と子供たちのためと語り、「逮捕されるならば、私の運命だ」と述べている。

香港から他国に亡命することなくマニラに戻ったことから、自身の逮捕は予想していたものの、日を置かずにハーグまで移送されることまで想定していたかどうか。



ハーグでの公判は検察側の意見聴取を経て26年以降に開始され、判決まではさらに数年かかるとみられる。健康に問題を抱えており、長い裁判に耐えられるかはわからない。

「私の運命だ」という表現は達観したとも受け止められるが、それ以上に自らが犠牲になることでサラ氏の将来に賭けたという側面が大きかったのではないか。



フィリピン国内の見解、意見は分かれる。

マニラ首都圏ではバイクの男たちに薬物中毒者と間違われて射殺された男性の父親が「息子は人違いで無慈悲に殺された。裁判もなしに危害を加えることは間違っている」と話す。(『朝日新聞』25年3月24日)


逮捕・移送を滞在先のマニラで知った石井正子・立教大異文化コミュニケーション部教授は、ミンダナオ島の知人の

「ディゴン(ドゥテルテ前大統領の愛称)は治安の回復に貢献した」

「ディゴンが大統領になるまで、麻薬中毒者のうろつきが怖くて、夜8時以降は出歩くことができなかったのよ」


という言葉を紹介する。(『ヒューライツ大阪ニュース・イン・ブリーフ』25年3月19日)


法務当局が刑事訴追の可否を検討していたとも伝えられ、国内の司法手続きに則って解決していくべきだったという声も起きている。


ドゥテルテ氏は建国以来16人目にしてミンダナオ島から初めて選出された大統領だ。ダバオを中心に熱烈な支持者がいることで知られる。

3月28日の80歳の誕生日にはダバオで約6万人の支持デモがあった。
彼等の動きが先鋭化していけば、大統領支持派たちの活動もまた激しくなっていくだろう。



5月12日には半数が改選される上院のほか、全下院議員、地方自治体の首長、議員らを選出する中間選挙が行われる。

ドゥテルテ派がサラ氏の上院での弾劾訴追阻止に必要な9人の支持議員を確保できるか、大統領に抗議してマルコス派の推薦を辞退した姉のアイミー・マルコス上院議員が再選を果たすかなど、結果次第では政局がさらに流動化する可能性もある。

ダバオ市長選に立候補しているドゥテルテ氏の立候補資格は有罪確定までは取り消されない。本人不在のままの当選も取り沙汰されている。


ミンダナオ島では1960年代後半からイスラム教徒らの自治闘争が繰り広げられ、2014年のフィリピン政府と最大勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)との和平合意締結後、暫定自治政府の下で戦闘員の武装解除などが進んでいる。

自治政府樹立のための選挙は25年10月に予定されている。
サラ氏の弾劾成立などでミンダナオ島内が混乱した場合、選挙実施とその後の首班指名というスケジュールに影響が出てくるかもしれない。

マルコス大統領の「決断」はフィリピン社会をどのように変えていくのか。両派の争いにルソン島とミンダナオ島の風土、人々の気質の違いも加わり、南北対立へと広がっていくことはないのだろうか。

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