アジア新風土記(40)習近平の「中国の夢」



著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。





中国共産党は2022年10月16日から第20回党大会を開き、
23日の中央委員会第1回全体会議(1中全会)で
習近平総書記(国家主席)を三度(みたび)総書記に選出した。

「2期10年」という慣例を破る「習3選」の大会は、
習氏の絶対的権力を内外に示した大会でもあった。
党規約には習氏の党の核心としての地位と権威を守る概念として
「二つの擁護」という文言が新たに明記された。

習氏は新体制発足後の記者会見に臨んで、

 「(中国の国情に基づいた特色を持つ)中国式現代化によって
  中華民族の偉大なる復興を全面的に推進する」

と語った。

発言はそのまま彼の謳(うた)う「中国の夢」に重なり、
党の規約に加えられる。
人口14億の国のトップとして、その夢への道をこれからの5年間、
ひたすら突き進むのか。


習氏は第18回党大会で党総書記に初めて就任した2週間後の12年11月29日、
早くも「中国の夢」に言及する。
中国発ニュースサイト「北京週報」は、中国国家博物館の「復興の道」展を見学したとき

 「誰しも理想や追い求めるもの、そして自らの夢がある。
  現在みなが中国の夢について語っている。
  私は中華民族の偉大な復興の実現が、
  近代以降の中華民族の最も偉大な夢だと思う」

と話したと伝える。

「中国の夢」は、21年7月1日の党創立100周年祝賀大会の演説でも強調された。
北京発1日の国営新華社通信は以下のように報じる。

 「この100年間、中国共産党が中国人民を団結させ引っ張って行った
  一切の奮闘、一切の犠牲、一切の創造のテーマは、まとめれば、
  中華民族の偉大な復興ということになる」

 「われわれは第1の100年の奮闘目標を実現し、
  中華の大地で小康社会を全面的に完成させ、
  歴史的な絶対的貧困問題を解決し、
  いま意気軒高として近代的社会主義強国の
  全面完成という第2の100年の奮闘目標に向けてまい進している」

演説はまた、党と人民は一つであると位置づける。

 「江山〈国家権力〉は人民に他ならず、人民は江山に他ならない。
  江山を勝ち取り、江山を守ることは人民の心を守ることである。
  中国共産党の土台は人民にあり、血脈は人民にあり、力は人民にある」

党大会初日、習氏が読み上げた1時間45分の政治報告にはしかし、
「人民」の暮らしを左右する経済の停滞によって社会にくすぶる不満を
すくい上げる件(くだり)はなかった。
先行きの不透明さに触れることもなかった。



上海の長期ロックダウンのような厳格な「ゼロコロナ」政策は
諸々の活動を減速させている。

22年上半期の国内総生産(GDP)実質成長率は前年同期比2.5%、
7~9月期は党大会期間中の発表が大会終了後まで延期され、3.9%だった。

コロナはなお終息の気配を見せず、年間目標の5.5%前後の達成は困難な状況だ。


経済活動の5分の1を占めるとまでいわれる不動産業界の低迷は続き、
地方政府の財源である土地の使用権売却収入も市場の冷え込みで大幅に減った。

経営難の不動産会社はマンション建設を停止、購入希望者の住宅ローン返済
拒否の動きが各地に広がる。

大卒予定者の内定率が下がるなど若者らの失業率は下げ止まらない。



中国政府にとっては同じ人民である少数民族についても、
政治報告の主要なテーマとして登場することはなかった。

習氏は新疆ウイグル自治区の「中華民族化」政策の先頭に立っていた
陳全国・自治区党委書記を21年12月に更迭した。

後任の馬興瑞氏は宇宙産業幹部出身で主な政治活動は直前まで
広東省長を務めた程度だ。
陳氏によってウイグル勢力を一掃させた後は経済活動などに
主眼を置くだけということかもしれない。



習氏は22年7月12日、新疆ウイグル自治区を8年振りに訪れる。
総書記2期目に省、直轄市などで足を運んでいない唯一の自治区だった。


訪問の目的は新華社によれば
「民族団結や中華民族共同体の意識形成の状況をつかむもの」
といわれる。

「中華民族共同体の意識形成」の根底に中華民族としての一体感をつくるための
「中国語教育」があるとすれば、独自の言語によって成り立つ少数民族の歴史、
文化、価値観はどうなるのか。


台湾問題は改正された党規約に「台湾独立に断固として反対し、抑え込む」
と盛り込まれた。

政治報告でも習氏は平和統一に最大の努力を尽くすとする一方で、
「武力の使用を放棄する約束は絶対にしない」と明言する。

「武力の行使」は8月のペロシ米下院議長訪台直後の「台湾白書」にも記された。
政治報告、台湾白書とも、外部勢力、台湾独立勢力に対するものという留保を
つけるが、「同胞」と呼びかける人たちに銃口を向けることに変わりはない。


習氏はなぜそれほどに台湾に固執するのか。
中国はこの10年で経済大国としての地位を確かなものにしたが、
必ずしも彼の功績というわけでもない。

反汚職・腐敗運動も政敵を粛正するための手段だったという見方さえある。
自他ともに毛沢東と並び称されるには、より「目に見えた」成果が必要なのか。



新体制の最高指導部である政治局常務委員7人は習氏と側近らが占めた。
後継者と目される人はいない。
経済政策重視策をとって時に習氏と対立した李克強首相は外れ、
23年春の退任が確実となった。

胡錦濤前党総書記、李首相と同じ共産主義青年団(共青団)出身で
次期首相候補だった胡春華政治局員副首相(59)は中央委員への
降格となった。

習氏の長期体制は鄧小平が毛沢東の文化大革命への反省などから目指した
集団指導体制を否定する。

指導者が党大会の年に68歳以上であれば退任という不文律によって担保されて
きた理念は、69歳の習氏3選で不問に付され、さらに王毅政治局員外相(69)
らの留任によって有名無実化した。


党大会前の厳しい警備体制下の北京で10月13日、
高架橋に習氏を批判する横断幕が掲げられた。
ウェブ上などに出回った複数の画像には

「独裁国賊習近平を罷免せよ」
「領袖はいらない」

などの文面が続いた。

ゼロコロナ政策に反発する

「封鎖はいらない、自由がほしい」

という言葉もあった。


市民らが投稿した動画などは直ちに削除された。
首都の公の場での習批判は散発的なものか、
これからの社会の様相を先取りしたものなのか。

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