アジア新風土記(84) 安平のマングローブ




著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。









大航海時代のオランダが台湾南西部に拓いた安平の港町は海岸線に沿って干潟、潟湖(せきこ)、養殖池が広がっていた。その合間を縫うように四草大道を30分も走ると、灰色がかった景色に緑が一際(ひときわ)眩しいマングローブ(紅樹林)の水路があった。

「四草緑色隧道」と呼ばれる長さ1キロ、幅10メートルほどの水路は、文字通り緑のトンネルだった。



四草緑色隧道。奥に四草大衆廟が見える

四草緑色隧道にはボートを大きくしたような底の浅い遊覧船が待っていた。
観光客らを乗せ、約30分で往復する。
安平老街からさほど遠くないところに、およそ雰囲気の異なる場所があることに驚きながら、1人200台湾ドル(約900円)の乗船券を買う。観光バスがツアー客を連れてくるほどの人気なのか、運行は午前8時からだった。


遊覧船は両岸からマングローブが迫(せ)り出してくる中を進む。
大きな枝が伸び、水路の上で交差して、トンネルをつくる。
枝と枝の間から、葉と葉の間から木漏れ日が差して、乗船客が歓声を上げた。


四草緑色隧道の「トンネル」





四草緑色隧道の遊覧船


案内板には「ミニアマゾンの森」とあった。
唐の詩人李白の五言絶句にある「白髪三千丈」を思い出す。
長年の憂いで伸びた白髪を誇張した元々の意が、大袈裟な表現への暗喩として使われることの多い言葉だ。船の上から頭上近くに、あるいは手を伸ばして届きそうな木々に囲まれてみると、強(あなが)ち、突拍子もない表現でもない気がしてくる。


水路のマングローブはメヒルギ(水筆仔)、ヒルギモドキ(欖李)、ヒルギダマシ(海茄苳)、ヤエヤマヒルギ(五梨跤)の4種で樹齢は約50年という。
一般にマングローブの樹齢は50年前後といわれており、老木の部類だ。

マングローブ林は他には見かけなかった。辺りは干拓によって開けた土地だ。
水路の隣には中国・清朝時代に建立された四草大衆廟もある。
周りの樹林が消えていくのにそれほどの時間はかからなかった可能性もある。




オランダが17世紀初期、安平にゼーランディア城(安平古堡)を築いた時は、城壁直下まで海だった。オランダ東インド会社の『バタヴィア城日誌1』(村上直次郎訳注、東洋文庫170、平凡社、1970年)は、安平の港を調査したときの様子を「港内(ダイオワン、安平の旧名=筆者注)の水は最干潮時十二フィート(約3.7㍍=同)なるを発見し(中略)この辺は海岸に砂丘多く、そこここに叢林あり」と描く。叢林とはマングローブの林だったのではないか。



四草緑色隧道一帯は「台江生態文化圏区」に指定され、北には曽文渓の大河がある。河口の七股潟湖にはいまもマングローブの広大な群落が見られ、雲嘉南浜海国家風景区管理処のホームページによれば、オランダ人はかつてこの林を「緑谷」と呼んでいたという。

生態文化圏区には越冬地を求めて北方から飛来してくるクロツラヘラサギ(黒面琵鷺)の保護区もある。10年ほど前の冬に訪れた時は、潟湖の南にマングローブのトンネルがあるとは思ってもみなかった。




淡水河のメヒルギの大群落。淡水河の河口を望む


台湾西部は遠浅の海が続いている。マングローブの保護区がいくつもあり、北部を流れる淡水河の河口右岸には「淡水河紅樹林自然保留区」がある。

76ヘクタールのメヒルギ大群落は、台北と淡水を結ぶ台北捷運(MRT)淡水信義線の紅樹林駅からよく見渡せた。建築廃土、ゴミなどの不法投棄による汚染の深刻化が保護区設定の決め手になった。

河口左岸の八里地区にある「挖子尾(あつしお)自然保留区」は台湾のマングローブ分布の北端だ。清朝時代から水運が盛んだった淡水河は大陸の商人らがジャンク(木造帆船)に大量の産物を載せて川を上った。

船乗りたちが船上から眺めたマングローブは、上流の台北の湊近くまで生い茂っていたのかもしれない。


その想像はブルネイの首都、バンダルスリブガワンを流れる川をクルーズ船で遡ったときの記憶を蘇らせる。
両岸から迫ってくるマングローブの森林は緑豊かといった表現を超えて黒々と光り、際限がないかのようにどこまでも延びていた。
熱帯雨林に育つマングローブと亜熱帯の台湾では木々一本一本のボリューム感が違うようだ。


バンダルスリブガワンから上流を遡っていく


マングローブは亜熱帯から熱帯の潮間帯・汽水域に生育する常緑樹の総称だ。
樹高20メートル以上の高木から1メートル以下の低木まで、種類は70を超える。120以上の国・地域の約1520万ヘクタールに分布する。
小魚、カニ、ヤドカリ、貝などの格好の棲み処として多様な生態系をつくり、二酸化炭素の吸収・蓄積、水質浄化、海岸線の浸食防止などの効果も指摘されている。


海、河川に暮らす人たちと古くから共生してきたかにみえるマングローブも、第二次大戦後は人口の爆発、大規模な都市計画からエビ養殖場開発、住民の木炭利用などによる伐採に、モンスーンなどの自然災害も加わって消滅の危機に瀕しているところが増えている。
再生、育成の取り組みは台湾のように社会が安定しているところは機能するが、政情不安な国などは混乱がそのまま国土の荒廃、マンゴローブ林の消失へとつながっていく。

ミャンマーのイラワジ川流域は岸辺しか確認ができず、後背地は耕地などに変わっていった。バングラデシュにはガンジス川などの河口デルタ南西部にシュンドルボンという大マングローブ林がある。
ベンガルトラなどの野生動物の生息地として知られるが、デルタ対岸の人が溢れるチッタゴンの周辺にはどれだけ残っているのだろうか。







日本は鹿児島県・薩摩半島のメヒルギ群落を北限として、奄美大島、沖縄などに分布する。南西諸島・西表島には日本で確認されている7種全部を見ることができる。
島の西部を流れる仲間川の支流、宇多良川の中流域には樹齢350年のオヒルギが生きているとも聞いた。

宇多良川が仲間川と合流する辺りは戦前から戦後にかけて炭鉱があった。
(『アジア新風土記』参照)




炭鉱跡地の波紋一つない川面にもマングローブの木々があった。

生気を湛えて伸びやかな安平の四草緑色隧道、バンダルスリブガワンの森林とは違って静謐な佇まいだった。

過酷な労働を強いられて逝った人たちへの思いに満ちた風景だった。


宇多良川の炭鉱跡地

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