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アジア新風土記(75) 韓国総選挙
著者紹介 津田 邦宏(つだ・くにひろ) 1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。 |
2024年4月10日、韓国の4年に1度の総選挙(定数300)が行われ、進歩(革新)系野党「共に民主党」が175議席(系列政党を含む)を獲得して圧勝した。
与野党逆転を狙った尹錫悦大統領の保守系与党「国民の力」は108議席(同)と大敗する。元法相曺国氏を代表とする「祖国革新党」は12人を当選させ、野党勢力が全体の5分の3を超えた。中央選管が発表した投票率は67.0
%で前回の66.2%をわずかに上回った。
尹大統領・国民の力の敗因は、大統領の独善的な政治スタイルが有権者に受け入れられなかったことにある。
職権乱用の疑いのある前国防相の駐豪大使任命、夫人の株価操作関与疑惑の捜査拒否などへの怒り、不満が、経済改革にも有効な手を打てなかったことと合わせて逆風となった。
大統領は11日、「国民の意思を謙虚に受け止め、国政を刷新し、経済と国民生活の安定のために最善を尽くす」と述べたが、どこまで政治力、指導力を回復することができるか。
野党勢力の勝利は有権者の強い支持があったわけではない。
大統領批判票のいわば受け皿となったと言えなくもない。
物価高騰対策をみても、与党の付加価値税の10%から5%への引き下げ、野党の国民一人あたり25万ウォン(約2万7500円)の支援金支給は、いずれも選挙目当ての場当たり感は否めなかった。
政策論争不在の中で少子化問題も争点にはならなかった。
23年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産むと見込まれる子の数)「0.27」が日本の「1.26」(22年)を大きく下回る状況は喫緊の課題だった。
保育施設の整備、育児休業の利用促進、子育て世帯への手当拡大などの施策は抜本的な解決策には程遠く、野党側からも建設的な提案は生まれなかった。
尹大統領は少数与党の国会で苦しい政局運営を余儀なくされるが、野党側にも懸念材料はある。
共に民主党の李在明代表は2年前、不動産開発にからむ疑惑で虚偽の発言があったとして公選法違反に問われた。
総選挙直後の12日、ソウル中央地裁に出廷した李代表はメディアに無言を通したが、刑が確定した場合は議員職を失うおそれもある。
祖国革新党の曺国氏は子弟不正入学問題などで控訴審の有罪判決を受け、上告中だ。二つの裁判の判決によっては政局が大きく揺れ動くかもしれない。
国際問題、北朝鮮問題はほとんど話題にならなかった。
どの国も国政選挙は国内問題が主な焦点になる。
国民が外交問題に関心がなかったとは思えない。
総選挙は問う場ではないとみるべきなのか。
日本との関係は大幅に改善された。
膠着状態だった徴用工問題は23年3月、韓国政府が政府傘下の財団が敗訴した日本企業に代わって賠償金の相当額を原告に支払うことを骨子とした「解決策」を発表して動き出した。
大法院は「解決策」発表後、元徴用工に関する判決を次々に下す。
23年12月、元徴用工7人が日本製鉄(提訴時は新日鉄住金)を、元女子勤労挺身隊員ら4人が三菱重工を、それぞれ訴えた訴訟で、原告一人あたり1億~1億5千万ウォンの支払いを命じた。
24年1月には元女子勤労挺身隊員らが機械メーカー・不二越を訴えた3件の損賠賠償訴訟で、原告への賠償を命じた下級審判決を支持する。
2月は日立造船に損害賠償支払いを命じた裁判で、原告側は同社供託金を受け取ったことを明らかにした。
「解決策」が日本への一方的な譲歩だとする反対意見はなお根強く、裁判で勝利した原告に賠償金を支払うとした財団の財源不足も指摘されている。
日本側の対応に変化はなく、敗訴した三菱重工などはいまも供託金を納めていない。
日本政府は1965年の日韓請求権協定で解決済みの立場を崩さない。
徴用工問題は有権者の日本への関心が低くなっていることに加えて若い人の好感度も上がっていることから、政府批判の材料にならなかったという見方があった。
しかし、共に民主党の李代表は選挙前、地元メディアに「わが国にはまだ清算されていない親日の残滓がたくさんある」「今回の総選挙は新たな韓日戦だ」と語っている。
日本企業の資産が賠償金代わりに現金化されるケースが生じた場合、日韓関係の火種として再浮上するかもしれない。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との問題は与野党の論戦にはならなかった。
韓国社会を揺るがすような「北風」といわれる挑発行為もなかった。
北朝鮮は進歩系・文在寅前大統領の宥和政策時代も核・ミサイル開発を加速させていった。
共に民主党にとっては、宥和策が成功しなかっただけに政府の強硬姿勢を正面切って批判することは難しく、与党側も具体的な成果に見るべきものがない以上、避けたかったテーマといえた。
最近の北朝鮮は尹大統領の強硬路線に厳しい対応をみせる。
2024年1月16日の朝鮮中央通信は金正恩総書記の最高人民会議(国会)での「韓国を第一の敵対国、不変の主敵と憲法に明記すべきだ」という発言を伝える。
さらに「80年間の北南関係史に終止符を打つ」「韓国が和解や統一の相手であり同族だという既成概念を完全に消し去ることが必要だ」と激しく非難する。
尹大統領も直ちに「北朝鮮の政権が反民族的で反歴史的な集団であるという事実を自ら認めたものだ」と反駁した。
両者の緊張関係は以前にも増して高まっているようにも感じる。
南北問題は米国、中国も絡んだ安全保障問題に直結する。
尹大統領は就任以来、米国、日本などとの安全保障協力を強化する道へと舵を切り、3月にはバイデン米大統領が提唱した「民主主義サミット」のオンライン首脳会議を主催する。
中国の反発を承知の上で民主主義の価値観を共有する国・地域の一つとして台湾代表も招待した。
日韓両国に中国を加えた3か国の首脳会談が5月下旬にも開かれる見通しだ。
実現すれば19年12月の中国・成都以来約4年半振りとなる。
日韓首脳の話し合いも検討されている。
総選挙の結果が直ちに尹政権の外交政策に影響を及ぼす可能性は低いものの、大統領の新たな姿勢を窺う試金石になるのではないか。