アジア新風土記(56)香港のタグ付きデモ



著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。





香港が中国に返還された7月1日は香港のことを書きたいと思う。

香港から発信される情報は次第に減り、その情報も中国政府の意向に沿った内容のものが目立っている。
2023年1月からの半年をみても、植民地時代の自由社会、返還直後の「一国二制度」に期待した社会とはかけ離れた出来事ばかりだ。



2023年3月26日


九龍半島東部のビクトリア港・将軍澳の埋め立て計画に反対するデモが行われ、80人から100人の市民が参加した。
埋め立てとセメント生産設備工場、産業廃棄物処理場建設に反対する住民らだ。
香港政府は20年から新型コロナ防止を理由に集会、デモを認めてこなかった。
3年後に初めて承認されたデモは、公安条例によって1週間前までに主催者氏名、IDカード番号、実施スケジュール、参加人員などの届け出が義務づけられた。その上、当日の参加者には抗議活動の名称、番号入りタグをつけること、マスク着用禁止が求められた。横断幕などの事前チェックも行われ、参加者と取材メディアの間には仕切りができた。





4月16日

中国政府で香港問題を担当する夏宝竜・香港マカオ事務弁公室主任が香港立法会(議会)で初めて演説する。演説は非公開だったが、共同通信のウェブサイト『KYODO』は17日、英字紙『サウスチャイナ・モーニングポスト』を引用、夏主任が「野党(の存在)イコール民主主義ではない」と述べ、民主派を事実上排除した選挙制度を正当化したと伝えた。






4月17日

カトリック香港教区のトップ、周守仁司教が香港の司教として1997年の返還後初めて北京を訪問した。
香港教区はローマ教皇庁(バチカン)が管轄しており、香港に残された数少ない「自由」の場ともいえた。約40万の信者に加え、プロテスタントの約80万人も訪問を見守った。周司教は香港と北京の理解を深めるための橋渡し役が目的と語るが、
「私たちは皆、国と教会を愛することを学ばねばなりません」「愛国的であることは義務です」と話したとも伝えられる(4月22日、米国のカトリック専門ニュースサイト『Crux』)。





教皇が唯一持つ司教任命権を巡るバチカンと中国の対立は、2018年に一応の合意をみる。内容は非公表だが、バチカンの中国側司教追認などが含まれているといわれる。しかし、23年4月には空席の上海司教がバチカンの同意のないまま任命され、通知もされなかったという。
習近平国家主席が聖職者にも愛国第一を求める「宗教中国化」政策の一つとも受け取れる任命をバチカンはどこまで容認するのだろうか。
「許容」の限界がどこにあるのか。香港教区の自由度ともかかわってくるのではないか。




5月2日

香港政府は23年末の区議会選挙(定数470)で住民の直接選挙枠を従来の452議席から88議席へと大幅に減らす方針を明らかにする。19年の選挙は民主派が議席の8割を獲得する圧勝だった。その後、議員は政府への忠誠を宣言しなければならなくなり、拒否した多数の民主派議員は辞職に追い込まれた。
李家超行政長官は「区議会が香港の独立を主張する者たちに乗っ取られることを阻止するため、制度の抜け穴をふさがなければならない」と語る(5月3日、ウェブサイト『日テレNEWS』)。




5月10日

香港立法会は国家安全に関わる訴訟について、当事者が弁護士を選ぶ権利を制限する条例改正案を可決、外国の弁護士の訴訟参加は行政長官の許可が必要になった。国家安全に関わる訴訟の解釈については香港政府の判断に委ねるとしたことで、改正案の及ぶ範囲が刑事、民事のいずれでも限りなく広がった。




6月4日

香港島・ビクトリア公園は、親中派団体の中国特産品バザーが開かれた。
21年から中止が続く「天安門事件犠牲者追悼キャンドル集会」は23年も開催されなかった。3日夜にはハンストを試みた4人が逮捕される。
4日も厳重な警備態勢が敷かれ、香港記者協会元幹部が拘束され、民主化スローガンのロゴ入りシャツを着た市民らが連行された。

返還まで1か月を切った1997年のキャンドル集会にはデンマークの彫刻家による「国殤の柱」像が立つ。苦悶の表情をした人たちが連なって一つの柱を形作る像は、人々に怒りと悲しみを想起させた。

国家安全維持公署は2023年5月5日、香港大学構内に解体・保管されていた像を国家転覆扇動罪の「証拠」として押収する。作者のガルシュット氏はAFP通信に「警察からも大学からも連絡はない。像を民主化運動の証拠にはできない。私が所有者であり、香港に設置することも私の発案だ」と答えている(5月6日)。




6月16日

日本留学中の女子学生(23)が一時帰郷中に国家分裂扇動罪で起訴され、第1回の裁判手続きが行われた。学生は3月上旬、身分証更新のため香港に戻ったところ、日本からネット上に香港独立を支持する投稿をしていたなどとして拘束されていた。




7月1日

香港島・湾仔の金紫荊広場などで香港政府高官らが出席して、返還26年記念式典、レセプションが行われた。この日が特別な日だということを示すものは、それだけだった。

香港のいまを語ることに躊躇する人たちの気持ちは心の奥に仕舞い込まれていく。


5月19日のウェブサイト『香港ポスト』は、前香港行政長官の梁振英・中国人民政治協商会議副主席が前日のウェブ専門学院開校式典に臨んで「香港人は普遍的に国家観念が乏しく(中略)相当部分の香港人は内地(中国本土=筆者注)を中国と呼び、多くのメディアは依然として内地と香港の関係を『中港関係』と呼んで改めようとしない」と批判したを伝える。
返還から四半世紀以上が過ぎてなお、香港人の心を掴めない中国政府の苛立ちを端的に表した発言だった。そこに、香港人の思いを垣間見る。

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