アジア新風土記(82) 太平洋・島サミット




著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。




南太平洋の広大な海域はミクロネシア、メラネシア、ポリネシアと総称され、そこに大小合わせて2万ほどの島々が点在している。

2024年7月16日、この地域の14の島嶼国と2つの地域に、日本、オーストラリア、ニュージーランドを加えた19か国・地域による「太平洋・島サミット(PALM)」が東京で開かれた。

島サミットは1997年、日本がこれらの国々との関係強化を目的に打ち出したもので、3年ごとの開催を続ける。

10回目の今回は首脳宣言で「武力による威嚇もしくは武力の行使または威圧による一方的な現状変更の試みに強く反対する」と明記、共同行動計画では日本が自衛隊の航空機、艦船の寄港を通じて島嶼国との防衛交流を強化するとまで踏み込んだ。


外務省のホームページは島嶼国・地域は「国土が狭く、分散している」「国際市場から遠い」「自然災害や気候変動等の環境変化に脆弱」などの問題を抱えており、その解決に向けた会合を持つことが趣旨と述べ、安全保障については特に触れていない。

首脳宣言がこの問題に言及した背景にはこの30年近くで島嶼国を取り巻く環境を大きく変えた中国の進出がある。
武力行使などによる現状の一方的な変更への懸念は、中国による南シナ海での「領土拡張」の動きが念頭にあった。



97年の第1回会合は香港が中国に返還された7月からわずか3か月後だった。

鄧小平の改革開放路線がようやく軌道に乗り始めたとはいえ、国際社会が認めるほどの経済成長はまだ見せていなかった。



経済大国になった中国がインフラ整備などの経済支援に乗り出した理由の一つには国力の差を見せつけて台湾の孤立化をはかる台湾政策があった。

台湾は2002年からの民進党・陳水扁総統時代にはキリバス、マーシャル諸島、パラオ、ソロモン諸島、キリバス、ナウル、ツバルの6か国と外交関係を持っていたが、19年にソロモン諸島、キリバスが相次いで台湾と断交、中国と国交を結ぶ。

24年1月にはナウルも中国との外交関係を復活させたことで、台湾と国交を結ぶ国は3か国に減少した。


中国の進出は経済援助に留まらず、安全保障の分野まで広がる。

島嶼国で軍隊があるのはフィジー、パプアニューギニア、トンガの3か国だけで、他は沿岸警備隊、警察組織しか持っていない。
治安維持に中国の警察力を期待する国は少なくない。


南太平洋は第二次大戦後、米国、オーストラリア、ニュージーランドが島嶼国への経済援助を続けるとともに、3カ国によるアンザス条約(1951年締結)によって同地域の安全保障に大きく関与してきた。

オーストラリア、ニュージーランドと島嶼国による太平洋諸島フォーラムも当初の経済協力を話し合う場から紛争時の軍事面での支援、介入も可能な枠組みになった。
米国はミクロネシアのマーシャル諸島など3か国と経済援助をする代わりに外交・軍事問題を統括するという協定を結んでいる。


中国と島嶼国の安全保障に係わる動きを拾う。

ソロモン諸島はソガバレ首相の下で22年に中国と安全保障協定を結び、翌年には警察協力協定も結んだ。

24年4月の総選挙は与党OUR党が敗退。同首相は落選したが、連立工作によってマネレ外交・貿易相が跡を継いだ。
ハワイに近いキリバスも23年から中国人警察官12人を常駐させ、犯罪データベースづくりの支援などを受けているという。



フィジーは中国と11年に警察官受け入れ協定を結ぶなど、一貫して中国と友好関係を維持してきた。

ただ、22年の総選挙で首相に返り咲いたランブカ氏の新政府は警察官の受け入れを取り止めた。 


米国、日本も対抗する。

米国は23年2月、1993年に閉鎖したソロモン諸島の大使館を首都ホニアラに再度開いた。

3か月後、トンガにも新たに大使館を開設、パプアニューギニアとは防衛協力協定を結ぶ。

9月には外交関係のなかったクック諸島、ニウエを国家承認、関係強化を図った。
24年7月にはパラオ・ペリリユー島の飛行場を再整備、米海兵隊の作戦運用を開始する。



日本は23年、政府安全保障能力強化支援(0SA)を通じ、フィジーの海軍に警備艇などの供与を決め、ランブカ首相はさらに自衛隊による訓練等の支援を期待する。
24年1月にはソロモン諸島・ガダルカナル島で自衛隊が現地警察に不発弾処理の指導を行った。


島嶼国にとっての最優先課題は地球温暖化への有効な対策と多発する洪水被害などへの災害救助、排他的経済水域(EEZ)の漁業資源を守るための海洋監視などであり、国土の平均海抜が1・5~2メートルのツバルなどは喫緊の問題だ。

今回の会合では気候変動を「太平洋地域の人々の唯一最大の脅威」と位置づけ、防災能力強化と脱炭素化への支援を打ち出した。

支援が海洋安保に偏ることで、海水面上昇への対策などの援助活動が後手に回ることはないのだろうか。


外務省の島サミットに関するホームページは冒頭に島嶼国・地域が「親日的」と書く。各国は諸手を挙げて親日なのか。

日本は戦前、ミクロネシアを「南洋群島」として委任統治、太平洋戦争時はポリネシアもまた激戦地になった。

双方の関係がすべて友好的だったわけではない。
島々のジャングルにはいまも旧日本兵の遺骨が眠っている。
会合直前の6月にはペリリュー島で新たに2柱分の遺骨が発見されたと報じられた。

海底には撃沈された旧海軍の軍艦が当時の姿そのままに沈む。
「親日的」という言葉で、軽く過去を棚上げしているという思いは捨てきれない。(『アジア新風土記43』参照)



米国にとっても苦い戦後史を刻んだ地域だ。

1946年から58年までにマーシャル諸島・ビキニ環礁で行われた23回の原爆、水爆の核実験は海底に巨大なクレーターをつくり、他島への移住を強制された住民らの健康被害は続く。


戦争と核の痕跡がいまも生傷として残る地域の昔の出来事一つ一つが人々の記憶から忘れられていく。

日本などの対応は現在とは直接の繋がりはないということなのかもしれない。

その歴史はしかし、消えることはない。


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