アジア新風土記(81) オールドデリー




著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。




アジアの街は毎年毎年、綺麗に清潔になっていく。

大通りから路地へと人々の息遣い、生活のにおいが混ざり合い、古びた商店、屋台、ビルに生き生きとした空間を生み出していく街が次第に消えていく。

インドのオールドデリーは多様で雑然とした佇まいをいまに残す数少ない街だ。

8年前の7月、オールドデリーを訪ねたとき、つかの間でもそこに身を置きたいという気持ちを抑え難かった。整然として秩序ある社会への反動だろうか。




オールドデリーはムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが17世紀に築いた「ラール・キラー(レッドフォート)」を中心に発展した街だ。

ヤムナー河畔のラール・キラーから西に延びる大通りと左右に分かれていく通り、無数の路地が街の輪郭をつくっていく。







メトロ(地下鉄)の最寄り駅、チャンドニー・チョウク駅から大通りに出た途端、肌がじわっとしてくる。
すでに雨季に入ったのか、大気はねっとりと重く、けだるかった。
その感覚を楽しみながら、大通りを歩く。


人に圧倒され、頭上の電線に圧倒され・・・

ナショナルホリデーの日に、道行く人たちの表情はどことなく華やいで浮き浮きしているように感じる。後日、イスラム教のラマダン明けの大祭「イード・アル=フィトル」だったと知る。

オールドデリーは人の中に街があった。
人と人の間をリクシャ―(オート三輪タクシー)、オートバイ、自転車が割って入ってくる。


客を待つリクシャー

足元に様々なスパイスの入った布袋を三十ほども揃えた男がいた。
胡椒、シナモン、ナツメグ、ターメリック・・・。
名前を知っているのは数える程度だ。

どのスパイスにもそれぞれの使い道があり、大航海時代には、ヨーロッパ、アラブの男たちがその一つ一つを求めて押し寄せてきた。

大鍋に茶葉を入れて沸騰させてつくるチャイを売っている男がいた。
無造作に大鍋を掻き混ぜ、最後にミルクを入れてまた沸騰させる。
カップの紅茶にミルクを添えるミルクティーよりはるかに野性的だ。


路上にスパイスを広げる


ジャムン(ブラックプラム)が黒く艶やかに光って屋台を一杯にしていた。
ブドウを一回り大きくしたような実は南アジア原産の常緑高木ムラサキフトモモに生(な)る。

閻浮樹(えんぶじゅ)の別名があり、釈迦が少年時代に木陰で初めて瞑想した樹木として知られる。
古代叙事詩「ラーマーヤナ」にも、主人公ラーマが妻シーターを捜す旅の途中で「ジャンプ―樹」として登場する。釈迦もラーマもこの実を食べたのだろうか。


ジャムンの屋台

直径が1メートルもある大きなプレートに作りたてのオムレツを何枚も重ねる屋台があり、蓮の緑色の花托と袋入りの実もまた屋台の上から買い手を待っていた。


通りにある巨木はインドボダイジュか。
街路樹の趣を超えて昂然と辺りを見渡していた。
苗木を手入れしている人もいた。
自然とは程遠いような所でも小さな木々に心動かされる人がいると思うと、ほっとした気分になった。


黄金の円塔を屋上に頂いたスィク寺院はシーク教の寺院だった。
周辺にはモスク、ヒンドゥー寺院、ジャイナ教寺院などもある。
仏教寺院は見かけなかった。
釈迦の生まれた地に仏教が広く流布しなかった理由は何だったのかと改めて思う。


オールドデリー



大通りから左右に折れる通りにはサリーなどの生地、衣服専門店があり、宝飾品の店が並んでいた。
行き来する女性らはパンジャビドレスが目立つ。
ゆったりとした上衣とパンツにスカーフを合わせて、若い女性らの定番だ。
元々は北西部パンジャブ地方などのシーク教徒の女性の服装だったといわれる。
サリーに比べて動きやすいことも魅力の一つになったと聞いた。


着飾った女性たち


各種トロフィーなどを商いにしている店の縁台で店主がじっと通行人を凝視している。
店と店のわずかな隙間には座り込んで動かない白髭の老人がいた。
ターバンと衣服は黄色、手には杖と釣り鍋を抱え込んでいた。
沈黙の中で何を思っているのだろうか。
無の境地にでも入っているのかと思わせるところがインドなのか。


何を思う・・・


小さな公衆水飲場を見つける。
暑さに慣れた人たちもやはり水が欲しいのか、次々に蛇口に口を持っていく。
彼等の後に蛇口を近づける勇気はなく、通り過ぎる。

のどを潤すジュースショップはオレンジ、バナナに、砂糖キビの茎が数本まとまっていた。
紙コップにストローがつき、甘い果汁が心地良かった。

飲み終わった紙コップを道路わきに置いたとたん、縁台に寝ていた老女からくずかごに入れろと怒られる。
清潔とは言い難い街にも、こういった心持(こころもち)の人もいるのかと感心した。
周りのごみはむしろ他よりも散らかっている気もしたが、気にする素振りさえみせなかった。矛盾しているのかどうか。



路地に入り込んでいくと、本を拵(こしら)えている人に出会う。
一つ一つ丁寧に綴じていく。

四角い形のアイロンを持ち出してズボンをプレスしている人もいた。
アイロンにコードはなく、熱源は炭火か。

米屋は所在なげな店主の前に大きな米袋が二つ、どっしりと構えていた。
量り売りの容器がインディカ米を上から抑えている。

職人たちが大手を振る界隈の一角には廟があった。
帽子をかぶったまま写真を撮った時、近くの人がなにか言っていた。
帽子を脱げという意味だったのか。


方形のアイロンを初めて見る


大きな門扉が路地を遮(さえぎ)る。
「オールドハヴェリ」と呼ばれる古くからの住宅だったのかもしれない。
数百年前に遡るハヴェリには複数の家族が何代にも亘(わた)って共同で生活しているところもあるという。

ムガール王朝時代、ラール・キラー城下にあった高級官僚らの邸宅がそのまま残っていても不思議でないような気がした。


この道はどこへ行くのかと彷徨(さまよ)う感覚は、かつて香港の裏道を歩いたときに似ていた。
路地の奥が迷宮の入口であり、その先に何があるのかと不安を覚えたときの気持ちが蘇る。


木陰が恋しくなる

オールドデリーに若いころのアジアの街をみるのは、そこに暮らす人たちの日常が時代と共に進歩しなかったからか。

インドの最近の経済発展からは取り残されていくのだろうか。

古い街の人たちが現状に満足していないとしても、洗練された街に変わることも想像できない。

カオスのような街の活気を捨てる気はないのではという思い込みもまた、心のどこかにはある。

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