アジア新風土記(74)台湾のひまわり学生運動10年




著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。




2024年の1月、台湾総統選挙が終わって数日後の台北の街を総統府から立法院(国会)にかけて歩いてみた。

冬とはいえ日差しは強かったが、日陰に入れば北東の季節風を肌で感じる。
繁華街から外れた通りに人々の往来は少なく、静かだった。

10年前の春、辺り一帯は立法院を「占拠」した若者らの歓声、怒声がこだまし、市民らが道路に座り込んでいた。

南部からは共鳴する人たちが毎日、摘み取ったばかりのひまわりの花(太陽花)を送ってきていた。冷たい風にそのときの想いを託しながら、台湾の針路を確かに変えた日々だったと改めて思った。



14年3月18日、台湾と中国との海峡両岸サービス貿易協定に反対する若者らが立法院に乱入、占拠する事件が起きる。


前日、立法院での協定承認審議は馬英九総統が与野党合意の委員会審議を打ち切って本会議にかけようとして紛糾した。

立法院は与党・国民党が過半数を占めており、正面突破を図った形だった。
抗議する学生らは議場正面の孫文肖像画の前で「立法院だけでなく台湾全体の問題だ」と訴えた。



学生たちは立法院を取り囲んだ


サービス貿易協定は13年6月に中台政府間で合意しており、中国側は医療、金融などの80分野、台湾側は運輸、美容などの64分野を開放する取り決めだった。

立法院の承認を得るだけだったが、台湾側では中国企業による中小企業への圧迫が指摘されていた。

出版、印刷業界への投資は言論の自由に影響を与える恐れがあり、通信機器メーカーの進出が各種データの流出、サイバー攻撃の危険性を高めるなど反対意見が根強かった。

学生らの占拠を支持する市民らは次々と立法院に集まり、「解放区」の様相を呈してきた。


立法院で青天白日旗を逆さにして抗議する


各地からの応援物資がテント内に次々と持ち込まれ、救護班が生まれ、立法院内外の様子は逐一メールなどで発信されていった。警官隊も見守るだけだった。

台北の学生らの運動が高雄、台南の学生らに広がり、市民グループ、各種企業なども巻き込んだ全島規模の抗議となっていった。


解放区のあちらこちらにひまわりの花があったことから「ひまわり学生運動」と名付けられた訴えは、4月10日に学生らが立法院を退去するまでの24日間に及んだ。国民党も野党の民進党も有効な対応策を見出せず、いたずらに混乱を長引かせるだけだった。


新鮮なひまわりの花が立法院周辺を飾った



台湾内外に状況を逐一伝えるテントもあった



運動を支援する市民ら


若者らの政治参加は7か月後の台北市長選でより顕著になった。
無所属の台湾大医学部・柯文哲教授が民進党の支持も得て国民党候補を破って初当選する。

国民、民進の2大政党が中心だったこれまでの各種選挙は、第3の候補者がいても両党から分かれる形がほとんどで、柯氏のようなケースは初めてだった。

当選の夜、柯氏の選挙事務所前は野外フェスティバル会場のように音楽で溢れていた。支持者たちが振る「オレンジ」「ブルー」の小旗は「藍(国民党)」「緑(民進党)」の政党カラーを見馴れた目には新鮮だった。



ひまわり学生運動から10年の軌跡は何だったのか。

運動を主導した学生らは15年、第3の政党を目指して「時代力量」を旗揚げする。
翌年の立法委員(国会議員)選挙では5議席を確保、立法院の新たな風になるのではと予感させた。

しかし、党としての対中政策、民進党との共闘の可能性などをめぐって意見が分かれ、4年前は3議席に留まる。24年は支持基盤が競合する民進党、民衆党に呑み込まれ、議席のすべてを失った。

リーダーの一人、林飛帆氏は離党後に民進党の副秘書長になり、時代力量の主席を務めた黄国昌氏は民衆党に活躍の場を求める。
運動の実りを彼らはどのように受け止めているのだろうか。


民進党の長期政権化と国民党の凋落、若い世代が支える第3勢力の台頭という構図は、24年の総統選、立法委員選でも変わらなかった。

民進党は蔡英文総統から頼清徳氏への引継ぎに成功、中国はあくまで「隣人」であり、かつ対等な関係という現状の維持に腐心する。サービス貿易協定は凍結したままだ。



台北市長選で若者の力を結集させた柯氏は民衆党の総統候補として国民党に肉薄する支持を集めた。

台湾民意基金会の世論調査は、柯氏への投票が20~24歳の47.4%、25~34歳では56.1%と伝える。(岩田恵実、朝日新聞「WORLD INSIGHT」24年1月27日)


台湾社会はいま、大学を卒業しても就職が難しく、仕事を得ても給料はなかなか上がらない。都市部の住宅事情は家賃高騰が続く。
新型コロナ禍による経済のダメージは回復せず、格差だけが広がっていく。
現状を変えたいという気持ちが与野党に代わる第3党に望みをかけたという見方は少なくなかった。

若者らがどこまで柯氏を支持していくかはまだわからない。

総統選投票前日、総統府前のケタガラン大通り(凱達格蘭大道)での柯氏総決起集会には20万人を超える支持者らが集まった。

「台湾の選択は!柯文哲!」というスローガンを掲げる若者の熱気はすごかったものの、激しいほどの怒りはなかった。

ひまわり学生運動でみた切迫した勢いとは少しばかり違っていて、彼等の日常の生活に「政治」はどこまで入り込んでいるのかという思いさえした。


台湾を変えてきたのは若い世代だ。
戒厳令解除から3年後の1990年、学生たちは国民党独裁体制打破を求めて中正紀念堂前広場(芸文広場)に座り込み、自由に飢えていた人たちの共感を呼んだ。

広場中央に自立、高潔などの象徴として野ユリ(タカサゴユリ)を象ったモニュメントを掲げた「野百合学生運動」だった。

蒋経国の死去によって副総統から昇格したばかりの李登輝総統は、運動を後ろ盾として党内改革、政治改革に臨んだ。野百合学生運動が生まれなかったならば、と思う。



野百合学生運動(台湾大学生会主催「This Land Is Your Land 展」)





台湾に自生するタカサゴユリ(野百合)


台湾はすでに成熟した民主社会の時代に入っている。

人々の関心が主に「内政問題」に向けられるとき、ひまわり学生運動は台湾としての独自な道があることを再度、思い起こさせた。

若者らのパワーが爆発するような状況はしかし、これからは起こりにくいようにも思える。

そのことは台湾にとって、あるいは幸せなことなのかもしれない。

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