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アジア新風土記(88)台北・故宮博物院
著者紹介 津田 邦宏(つだ・くにひろ) 1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。 |
故宮博物院の正面
2024年10月、台北の秋はまだ日差しが強烈だった。淡水河右岸に広がる台北市街地の北、外雙渓の山裾にある故宮博物院は周りの木々の緑が色濃く、青緑とオレンジの屋根が一際鮮やかだった。
故宮博物院
夏が続いているのかと思わせる陽気に、午後3時を過ぎても観光客らは途絶えることはなかった。もう何回目の訪問になるのだろうか、いつ訪れても古き名品との「再会」、新たな出会いを期待する気持ちに変わりはなかった。
これまでと違うのは大陸からの中国人観光客が少ないことか。以前は故宮の内にも外にも引率するグループの旗を持ったガイドがいて、その旗に書かれた北京、浙江省、青島などから、大陸の津々浦々から来ていることがわかった。今回は旗をほとんど見かけなかった。台湾海峡両岸の緊張が影響しているのだろう。
陶磁器の展示は2階だった。10世紀から13世紀にかけての宋の時代、河北省に生まれた定窯の白磁を見る。
定窯(ていよう)
逸品は象牙色の彩色と説明されているが、白であって白でない。「象牙色」という言葉しかないのかと思う。どう表現したらいいのかわからない白色の美に惹かれて、かつて度々足を運んだことを思い出す。
汝窯(じょよう)
汝窯の青磁水仙盆もあった。
定窯とほぼ同時期の北宋時代末期(10世紀末~12世紀初め)、河南省の官窯でつくられた汝窯青磁は清朝・乾隆帝が収集に力を注いだと聞く。
「雨過天青(雨が止んだ後の水気を含んでしっとりとした空の色)」と表現される彩色は「薄い水色」と書くと味気ない。
定窯とどちらを好むかは人それぞれだろう。
陳列品は整然として時代区分も明確で、参観者には見やすい。
昔はもっと雑然としていて、定窯も汝窯も数量とも多かったような気がする。
いまの美術館としては当たり前の展示スタイルなのだが、なぜかごちゃごちゃ並んで倉庫然としたような雰囲気が懐かしい。
故宮博物院は1925年、北洋軍閥の一人、馮玉祥が北京・紫禁城の清朝宝物を公開したことに始まる。
戦後の国共内戦で国民党軍の敗色が濃厚になると、蒋介石は自身が台湾に逃れるとほぼ同時期に所蔵品を台北に運び出した。
65年、外雙渓に現在の「故宮博物院」を完成させ、収蔵品は約60万点といわれる。どれだけの名品が持ち出されたかは定かではない。
歴史的な経緯は台湾の故宮収蔵品が海を渡ることを難しくさせる。
海外で展覧会を開いた場合、中国が返還要求する可能性は常にあった。
2024年4月、チェコは国家文物保護法を改正、他国による展覧会文物の差し押さえを免れる法整備を整える。
2か月後、故宮博物院とチェコ国立博物館が文物の展覧に関する協力覚書に調印、25年9月から12月にかけて「国立故宮博物院の文物百選とそのストーリー」と題した展覧会の開催が決定する。
百選には清朝時代の翠玉白菜、北宋の都・開封の人たちの日常を描いた清院本・清明上河図(清朝時代)などが入っている。
翠玉白菜は14年の東京国立博物館以来の海外展示になる。
ヨーロッパでは初の本格的な故宮展がチェコ開催になったのはなぜか。
理由の一つを最近のチェコと台湾、中国の関係から窺い知ることもできる。
チェコは中国と国交を結び、プラハと北京は姉妹都市になっていたが、19年、姉妹都市協定書にある「一つの中国という原則」をめぐって対立、プラハは北京との姉妹都市を解消する。
20年1月、チェコは台湾との関係構築に意欲を見せ、プラハは台北と姉妹都市を結ぶ。9月にはミロシュ・ビストルチル上院議長が台北を訪問、立法院(国会)で、民主主義の台湾を支持すると表明、最後には「私は台湾人だ」と中国語で語るなど、親密の度合いを増していた。チェコの変化はこれからの国際社会の潮流になるのか。
故宮展開催の年はチェコ下院が4年の議員任期満了を迎える年でもある。
政権交代によって親中政権が誕生した場合、至宝の海外展示を一つの覚書だけに頼ることへの不安はないのだろうか。それだけ台湾とチェコの信頼関係は厚いということか。故宮展はパリでも予定されており、台湾政府と諸外国との友好関係強化に一役買っている感がある。
蔡英文前総統の24年10月12日からの欧州訪問も最初はチェコだった。
14日にはプラハでの国際会議「フォーラム2000」で講演、中国が同日、台湾周辺で軍事演習したことを踏まえ、「民主国家はパートナーへの威嚇、武力行使が深刻な結果を招くという明確なシグナルを発しなければならない」と強調した。あくまで民間人としての発言だったが、「前総統」の肩書は台湾の立場を訴えるのに十分だった。
中国の軍事演習は10月10日の双十節での頼清徳総統の演説に対する反応の一つだった。
総統は「中華人民共和国(中国)に台湾を代表する権利はない」「主権を堅持し、侵略と併呑を許さない」と語り、中台の対等な関係を改めて示した。
台湾では孫文の辛亥革命の発端となった1911年10月10日の武昌起義を双十節として中華民国(台湾)の「建国記念日」としている。
台湾内には台湾は独立した存在であるという主張と中国・王朝時代の逸品を台湾で抱えることの整合性を問う意見がないわけではない。
大陸のものだから返還してもいいのではといった声もある。
台湾の人たちが大陸の中国人とは異なると考えるとき、故宮の収蔵品を「台湾の宝」と思うのかどうか。尋ねても故宮と台湾人のアイデンティティーは別で、大勢はやはり「台湾の宝」という無難な答えが返ってきそうだ。ただ、突き詰めていけば矛盾が露呈するような微妙な問題だけに、だれもが正面切って深く論議することはない。
中国もまた故宮の収蔵品を返還せよと声高に叫んではいない。
「台湾解放」が実現すれば、逸品もまた還ってくるということかもしれない。
台湾に侵攻した場合、台北郊外の故宮まで戦火が拡大することは避けられない。
中国がそこまでのリスクを冒して侵攻するだろうかという見方もある。
台北の故宮は北京・故宮と同じように、2025年を創立100周年としている。いまのところ、両院が揃って記念行事を開催する予定はない。少し先の話とはいえ、こうした機運が盛り上がることはなさそうだ。