アジア新風土記(66)楽曲「香港に栄光あれ」




著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。





2023年の旧正月に香港で上映され、香港映画で初めて興行収入1億香港ドル(約19億円)を突破する1.21億香港ドルを記録した『毒舌弁護人~正義への戦い~』を見た。

映画では50代の判事が失職して弁護士になり、子供を虐待死させた罪に問われた女性の弁護を引き受け、一度は敗訴したものの、香港経済界を支配するファミリーの犯罪を立証して無罪を勝ち取る。

弁護士は法廷で陪審員に「コモンセンス」という言葉を投げかけ、だれもが納得する法の公正さを訴えた。


ストーリーに新しさはない。一昔前であれば、ありそうな話で終わり、「コモンセンス」も当たり前のことを言っただけと受け止められただろう。

香港の戦後から近未来までを7つの物語にした七人楽隊、19年の民主化デモにおける香港理工大学での学生らの抵抗を描いた『理大囲城』のようなメッセージ性の強い映画、ドキュメンタリーでもない。


香港の映画入場料は上映映画、場所、規模などで様々だが、大人1人で50、60香港ドルから130香港ドル前後だ。

130香港ドルとすると約93万人、人口740万の8人に1人が足を運んだことになる。
安い映画館もあるので、観客数は延べ100万人を超えているかもしれない。


これほどの人気になったのはなぜか。
映画を見た人たちはいまの社会がそこに色濃く投影されていると感じたのではないか。
法を思い通りに動かせると考えるファミリーの発想に、中国政府、香港特別行政区(香港特区)政府のそれを重ね合わせることはそう難しくない。


ドラマの設定が返還5年後の2002年だったのも大きかった気がする。
一国二制度がまだ言葉そのままに社会を律すると思われていた時だ。
だれもが中国の一部である香港特区になっても植民地時代の「法治」の社会が続くことを疑わなかった。


2003年3月、重症急性呼吸器症候群(SARS)が突然街を襲う。
観光客は遠のき、経済も落ち込んでいった。

6月、中国政府は香港特区との間で経済協力協定(CEPA)を結んで香港企業の大陸での優先的市場開放を決め、7月には広州など4都市からの個人旅行「自由行」を認める。

香港はこの「支援」によって一気に息を吹き返すが、同時に中国政府の強力なコントロール下に入っていった。


監督のジャック・ン氏は日本での公開後、新型コロナが終わってようやく旧正月に映画を見に行ける状況に公開された幸運を語りながら「ある意味、香港人の心の声をうまく表現することができた」と述べた。(23年11月6日、Cinema@rtニュース)

発言に「政治的な言葉」はない。「香港人の心の声」とは何だろう。


香港国家安全維持法(国安法)が20年6月に施行されると、法に抵触する行為が曖昧なまま、法治の原則がなし崩し的に瓦解していく。
香港政府は英領統治時代にできた刑事罪行条
例の扇動罪まで持ち出して、民主活動家らの言動を取り締まった。

22年3月、こうした動きを批判した英国籍の最高裁判事2人が辞任する。
声明で「政治的自由や表現の自由という価値観から遠く離れた行政を認めるそぶりを見せなければ香港での職務を継続できなくなってしまった」と述べた。(22年3月31日、BBC NEWS JAPAN)。



23年11月3日には西九龍裁判所が、日本留学中の女子大生(23)がSNSで香港独立を支持したとして刑事罪行条例の扇動罪に問われた裁判で「テロ組織の共産党は滅べ」「香港の独立が唯一の解決策」などの言葉が中国、香港政府への敵意を煽ったとして禁錮2月の実刑判決を言い渡す。

問題になった13件の投稿中、11件は日本で、2件は香港で発信されていた。
判決には香港人の香港外での言動も摘発対象とした国安法と同じく、海外での活動を締め付ける狙いもあった。

NHKの西海奈穂子香港支局長のリポート(23年9月19日、NHK国際ニュースナビ)は、

デモ、集会などに参加して逮捕され、処分保留のまま保釈された人たちを支援する弁護士の話を紹介、「きょう眠ったら明日の朝、警察が家のドアをたたきに来て連行されるのではないかと、いつ起訴されるかわからない恐怖におびえながら暮らし、精神的に不安定になる人もいる」と伝える。

「きょう眠ったら明日の朝・・・」に、台湾の李登輝元総統が司馬遼太郎との対談で「かつてわれわれ七十代の人間は夜にろくろく寝たことがなかった。
子孫をそういう目には遭わせたくない」と語ったことを思い起こす。
戒厳令が続き、人々がある日突然官憲に連行され消えていった白色テロの時代には戻さないという決意の言葉だった。


19年の逃亡犯条例改正案撤回を求めた大規模デモのときに歌われた「香港に栄光あれ」という楽曲がある。

8月31日、ネット上でミュージシャンのThomas dgx yhlさん(仮名)が発表、「なぜこの地に再び涙は流れる なぜ人々はまた怒り嘆く 顔を上げ沈黙を拒否しよう 叫びを響かせよう この地に自由が戻るように・・・」と続く歌詞が共感を呼んだ。

9月のサッカーワールドカップ予選の香港対イラン戦では、観衆が中国国歌にブーイングを浴びせた後、この楽曲の大合唱で応えた。

ショッピングモールなどでも自然発生的に歌われるようになった。

親中派メディアは「独立を扇動している」といった趣旨の論評を発表、国安法施行後は学校などで歌うことが禁じられた。



23年6月、香港政府は楽曲の徹底的な排除を目論み、国安法に違反する歌詞を含んでいるとして裁判所に歌唱、ネット配信などの禁止を求めた。

高裁は7月、「演奏などを禁じれば人々が委縮する恐れがある」として政府の申し立てを退ける判断を示した。表現の自由を認めた判断は、中国政府、香港政府の方針を基準にした司法判断が顕著になるなかで、異例ともいえた。

香港政府は8月に最高裁に上訴、12月19日にも最高裁の判断が出るとみられる。判断は政府の意向に沿う形で「禁止」の可能性が高い。

楽曲が生まれてから4年が経った。
香港を取り巻く環境は大きく変わった。
英国、台湾などに移住した香港人はこの楽曲を広東語でよく口ずさんでいるが、香港で表立って歌われているという話は聞かない。

いつかまた香港の空に高らかに響き渡る日が来るのか。





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