アジア新風土記(93) マカオの返還25年




著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。






マカオ(澳門)南部コロアネ(路環)地区の南端、黒沙湾に面した一角にポルトガル料理の店、リストランテ・フェルナンドがある。
ビーチで泳いでそのまま店に入ってもいいような気の置けない店だ。

バカリャウ(干しタラ)料理から焼乳猪(ブタのロースト)、焼沙甸魚(イワシの塩焼き)、葡式炒蜆(アサリのガーリック炒め)など本国にも負けないメニューが揃うなかで、一緒に食べたポルトガル風パンが懐かしい。

メイン料理の邪魔をせず、それでいて外側の硬い生地と中の柔らかなところが口の中で程よくブレンドされ、少し甘みの残る食感が楽しかった。

パンはフランスパンに近く、一般的には小麦粉に塩と水だけでつくられると聞く。
この店がそうなのかはわからない。
エッグタルト、メロンパンなどマカオのパンはいろいろとあるが、素朴でシンプルなポルトガル風パンがいい。


香港でマカオのパンほどおいしいパンに出会ったことはない。

ポルトガルの植民地だったマカオと、英国料理に何があるのかと挙げるのに苦労する英国を宗主国とした香港の違いだろうか。海風を受けながらそんなことを思った一日があった。








中国大陸の南東部、澳門半島にあるマカオは2024年12月20日、中国のマカオ特別行政区(特区)としてスタートしてから四半世紀が経った。
450余年のポルトガル支配が終わったのは香港返還の2年後だった。

12月20日、返還25年の記念式典に臨んだ中国の習近平国家主席は一国二制度の成功を強調、その長期的な安定のために「中央政府の全面的な管轄権はいかなるときでも揺らいではならない」と述べた。「安全は発展の基礎だ」とも話した。

この日就任した岑浩輝新行政長官は本土出身の初めての長官になる。
広東省出身で北京大学を卒業、ポルトガル留学後マカオで弁護士活動を始めた。
返還後に終審法院(最高裁長官に相当)の院長となる。


行政長官は選挙委員の推薦を受け、選挙委員400人の投票によって選出される。
岑氏はただ一人推薦を受け、10月に選出された。市民の一票で長官を選出する直接選挙を求める動きはなく、親中派で占められた選挙委員に異論はなかった。

香港の李家超行政長官もただ一人の候補者として選出されたが、行政長官直接選挙などの民主化を目指す人たちの闘いは続いている。

11月19日、立法会(議会)選挙の候補者選出予備選挙を実施した民主派45人が政権転覆を謀ったとして香港国家安全維持法(国安法)違反に問われた裁判で、香港高等法院(高裁)は禁錮4年2月から10年の判決を言い渡した。
「無風」な長官選挙は同じでも、二つの社会の変化の大きさを思い知らされる。


返還後のマカオは混乱もなく過ぎていった。
香港と同じように「憲法」として定められたマカオ基本法には23条に政府転覆、反逆、分離、扇動などを禁ずる法の制定が明記され、09年に国家安全維持法が成立している。

反対の声はほとんど上がらなかった。立法会(定数33)は21年選挙のとき、民主派候補は政府に忠誠を尽くす愛国者とは認められないとして立候補資格を取り消される。

前回は4人を当選させた民主派の人たちの抗議が広がることはなかった。
国安法も改正されて取り締まりが強化された。
香港では「香港人」としてのアイデンティティーが民主化を希求する力になったが、マカオには「マカオ人」として社会体制の変革を求めるまでの意識は生まれていないようにも思えた。(『アジア新風土記1965』参照)


カジノが観光業とともにマカオ経済を支えていることは返還後も変わっていない。

マカオ政府によると、24年通期のカジノ売上は2267億8200万パタカ(マカオ通貨=1パタカは約19.7円)にのぼる。

歳入のほとんどをカジノからの収益で占め、1~8月の経常収入694億2316万パタカ中、カジノによる税収は84%の587億7951パタカだった。
08年からはインフレ対策、富の還元という名目でマカオ市民への現金支給が始まった。
5千パタカの支給額は増額を続け、25年は1万パタカを見込む。
マカオの人たちの就職先もカジノ産業が多く、政府の6~8月期雇用統計の失業率は2・3%と低い。(「マカオ新聞」24年9月25、27日、11月20日、25年1月1日)


マカオは中国で唯一カジノが合法化されている地域だ。
岑新長官はカジノ依存からの脱却
を表明している。
カジノ営業がマカオだけの「特権」ということを踏まえての発言だったのかどうか。
カジノが将来も存続していくことはまず確かなことだろうから、難しい目標を掲げたとも言える。


1999年12月20日、マカオは晴れ渡っていた。
冷たい風が吹き、通りを行く人たちはコートの襟を立てて歩いていた。
それでも故国に還るという喜びが、人々の気持ちを和やかなものにしていた。
笑顔が溢れ、タクシーの屋根に飾られた中国国旗は颯爽と見えた。
2年半前の7月1日の香港は朝からの雨が時に驟雨となって降り続いていた。
人々は中国が約束した自由社会への期待と不安の入り混じる緊張感の中に返還を迎えた。


マカオ返還の日、北風を肌寒く感じながら、二つの特区は同じ一国二制度を取り入れながらも別の道を歩み始めたのではないかという思いは消えなかった。

マカオ市民と香港市民の返還への受け止め方の最大の違いは中国との距離感だったのではないか。その一端を中国軍への気持ちにみる。

7月1日未明、香港のテレビが広東省・深圳から進駐する中国軍を映したとき、大陸の動乱を逃れた少なからぬ人たちには怒り、恐怖、悲しみがあった。マカオはポルトガルの植民地時代も中国との関係は良好だった。

1966年、中国系小学校建設を巡る暴動が起きた「一二・三事件」で中国軍が境界近くに待機、威圧してからは中国の実質的な影響下に入ったといってもよかった。
返還のときに感情が大きく揺れ動くということはなかったのかもしれない。



マカオの人たちは、社会がカジノによって潤い、仕事を見つける機会が増えても、彼等自身が実際にギャンブルに夢中になることはほとんどないという。
華やかで喧噪に満ちた職場を一歩離れれば、普通の穏やかな生活が待っている。
のどかでのんびりとした暮らしぶりはいつの時代から、そしてどのように育まれてきたのだろうか。

鄙びた街とそこに生きる人たちに、ポルトガル風パンにも似た味わいがあった。

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