アジア新風土記(91)スリランカの左派政権




著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。







スリランカに2024年9月から11月、大きな政治の変動が起きた。

2009年に26年間の内戦を終わらせたマヒンダ・ラジャパクサ氏と
一族による実質的な支配の構図が24年9月の大統領選で崩れ、
11月の総選挙で決定的になった。



ラジャパクサ一族に代わって政権を担当するのは
アヌラ・クマラ・ディサナヤカ新大統領と左派勢力「国民の力(NPP)」だ。

膨大な対外債務の返済が滞り事実上の債務不履行(デフォルト)を経験した経済は、
どのように立ち直っていくのか。

インド洋の中心に位置し、インドと中国の影響力をめぐるせめぎ合いも続く。
政権の針路は南アジア全体の安定を大きく左右するキーワードになった。



スリランカ社会に大きなうねりをもたらした9月21日の大統領選挙には
38人が立候補する。

この乱立選挙に勝利したのは人民解放戦線(JVP)、女性団体、労働組合、
市民グループなどで構成するNPPを率いるディサナヤカ氏だった。

現職のウィクラマシンハ大統領、与党・スリランカ人民戦線(SLPP)から立ったラジャパクサ一族のナマル・ラジャパクサ氏らを抑えての勝因は前政権の緊縮財政見直しを主張、減税を公約するなど労働者らの低所得層の支持を集めたことだ。

これまでの政権を念頭に腐敗撲滅にも全力で取り組むと強調したことも有権者の心をつかんだ。
9月23日、首都コロンボでの就任式に臨み
「政治体制に対する国民の尊敬と信頼を取り戻すため、私たちは最善を尽くす」
「新しいクリーンな政治文化を確立する必要がある」と述べた。
(9月23日、BBC NEWS JAPAN)



新大統領は56歳。2000年に国会議員となり、14年にマルクス主義・多数派シンハラ人の民族主義を掲げるJVPの党首に就任。

農業・家畜・土地・灌漑大臣を務めた。スリランカ中部のサラリーマン家庭に育ち、JVPの学生運動の中で政治家を志す。政財界に有力な一族との関係はない。

JVPは発足後、武装闘争を展開した過去を持つ。
09年に少数派タミル人の北部州分離独立勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」が政府軍に敗れ、国内が安定した後は合法政党として一定の地位を保ち、急進派というイメージの払拭にも成功した。


第二の波は11月14日に実施された総選挙だ。

大統領選が終わったとき、JVPは一院制の国会(225議席、任期5年)にわずか3議席しかなかった。新大統領は直ちに総選挙の実施に踏み切る。

総選挙は225議席中196議席が22の地方選挙区に、29議席が全国区に配分され、いずれも比例代表制によって選出される。




大統領選の勢いに乗るNPPは3分の2以上の159議席を獲得するという地滑り的な勝利を収める。

法案、予算などの議決に必要な過半数を超え、憲法改正を可能にする3分の2以上も確保した。

長年にわたって政治を主導してきたラジャパクサ一族のSLPPは解散前の145議席が3議席になるという惨敗だった。


この大勝をどうみたらいいのだろうか。

国民に不平、不満が鬱積していたことは確かであり、市民に苦しみを強いるだけのラジャパクサ一族の政権運営を否定したということか。

そのあまりの変化に驚く。市民の怒りが暴動などの動乱を呼び込まず、選挙によって政治を変えたということは、民主主義が根付いている一つの証左かもしれない。

大統領選直後の9月25日、地元の英字紙ディリーニューズは


「選挙期間中、全く事件は起きず、激しい宣伝戦もなく、候補者同士の侮辱、告発、罵倒などもなかった。特に注目すべき特徴はこの国では一般的だった選挙後の暴力行為がなかったことだ」
と評した。

総選挙後も事件、混乱は聞こえてこない。

スリランカは内戦終結後、マヒンダ・ラジャパクサ大統領のもとで観光業に活路を見出し、急速な経済成長の道を歩き始めた。

ただ、港湾、空港、高速道路などの過度なインフラ整備は外国からの膨大な債務をもたらす。

観光業は19年のコロンボなど8か所で起きた連続爆破テロ事件に20年からの新型コロナ発生が追い打ちをかけ、一気に落ち込んだ。

22年、日用品などの物価高騰と燃料不足による1日10時間を超える停電などに苦しむ市民らの大規模な抗議にマヒンダ氏の実弟、ゴタバヤ大統領の政権は崩壊する。

後を襲ったウィクラマシンハ氏は国際通貨基金(IMF)に30億ドルの金融支援を要請するなど財政健全化を目指したものの、経済の回復には程遠かった。(『アジア新風土記』33参照)


23年の国内総生産(GDP)は884億米ドルで、IMFによれば世界の75位。
経済再建策の喫緊の課題はIMFとの交渉だ。

前政権が合意した支援条件について見直す考えもあるとしているが、
対外債務は約370億米ドル(約5兆5500億円)に上る。
IMFとの合意を前提とした債権国との話し合いに波及する恐れもある。
ディサナヤカ大統領は国政に大きく関わったことはなく、どのような決着を見るかは不透明だ。


主要産業である観光業が好転しつつあることは好材料といえる。

スリランカ観光開発庁は24年1~3月の外国人観光客が前年同期比89・4%増の63万5784人だったと報告する(24年4月5日、JETROビジネス短信)。


日本、中国、インドなどに対して無料の観光ビザを発給したことも大きく、8月22日のロイター電は「8月半ばまでに、19年以来で初めて海外から200万人近くの観光客が訪れた」と伝えた。


新大統領は国際社会ではほとんど無名の政治家だ。
外交経験に乏しいだけに諸外国との関係は手探りで進めるしかない。

中国とはラジャパクサ一族支配時代には南部のハンバントタ港の運営権を中国国営企業に99年間委ねるなど緊密だった。
蜜月関係の継続はインドを刺激しかねない問題だ。


スリランカの「左派」とはなにか。

半世紀以上も昔のシリマヴォ・バンダラナイケ元首相が記憶に残る。
1960年に世界初の女性宰相となった彼女は社会主義者として知られ、銀行国有化、外国石油会社買収などの社会主義政策を打ち出した。

欧米諸国とは距離を置き、中国、当時のソ連との関係を緊密化させた。


ディサナヤカ大統領とバンダラナイケ首相では国情も時代背景も異なるが、マルクス主義のJVP党首でもある大統領がどのような政治を打ち出していくか。


興味は尽きない。

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