歴史家・中塚 明先生の足跡をしのんで  梅田正己(高文研前代表)


現代日本の歴史認識を問いつづけた生涯

――歴史家・中塚 明先生の足跡をしのんで



本(2023)年10月29日、中塚 明先生が永眠されました。
1929年の生まれ、享年94でした。

 
先生が、最初の単独著作として『日清戦争の研究』(青木書店)を上梓されたのは1968年、「明治百年」の年でした。その祝典で、佐藤栄作首相は、「西欧諸国が300年かかった近代化を、われわれ日本人は100年で成し遂げました」と胸をはったものです。

 

 
それに対し、先生はこの著書の「はじめに」でこう述べておられます。

「近代日本百年の栄光」を賛美する議論が、「いかに歴史の事実に根ざすことのない議論であるかを明らかにし、日本の近代化とはどういうものであり、日本の〝栄光〟といわれるものがいかなるたぐいのものであり、また近代日本のあいつぐ戦争の根源が何であり、またそれがなぜ第二次世界大戦の敗北という結果に終わらなければならなかったか」という問題を究明するためにこの本の執筆にとりくんだのだ、と。


今にして思えば、これこそが先生の歴史研究のモチベーションであり、生涯を通じてのテーマだったことに思い至ります。

 

 
この本『日清戦争の研究』はハードカバーでA5判312ページ、学術書に分類される本です。

 
それで、せっかくの内容をもっとコンパクトで読みやすい形で、と先生に書き下ろしを依頼し、翌69年に三省堂新書の1冊として出版できたのが、『近代日本と朝鮮』です。その編集作業を担当したのが、私(梅田)でした。

 
同新書は、数多くの読者を獲得し、日本との関わりで朝鮮近代史を叙述した入門・啓蒙書として版を重ねました。

 

 
それからまもなく、1972年、私は社の事情から退社し、新たに高文研を設立、ここで出版の仕事を続けることになるのですが、先生と三省堂とのご縁はつづき、75年、同社の教科書『高校日本史』の執筆陣に門脇禎二先生らとともに参加されることになります。

 
一方、先生は、恩師・山辺健太郎先生の遺志を引き継いで、日清戦争当時の外務大臣・陸奥宗光の遺著『蹇蹇録(けんけんろく)』の研究とその校訂の仕事にとりくまれ、その成果が『新訂 蹇蹇録』(岩波文庫)として83年に刊行されます。

 
そのあと92年、『「蹇蹇録」の世界』をみすず書房から上梓されました。

 

 
その間、87年、先生は第三次家永教科書訴訟の原告側証人として、東京地裁の法廷に立たれました。

 
この家永訴訟は、82年、文部省による高校日本史の教科書検定で、中国への「侵略」が「進出」と書き換えさせられたのを契機として提起されたものでした。


家永先生の教科書『新日本史』(三省堂)にも、検定においていくつか重大な修正指示の意見が加えられましたが、その一つが、「日清戦争中の朝鮮人民の反日抵抗について」のもので、家永先生の新原稿の記述が「日清戦争の戦場となった朝鮮では人民の反日抵抗がたびたびおこっている」とあったのに対し、文部省の検定はその事実を否定したのです。

 
これに対し、中塚先生は自著を含め近年の研究書の記述を提示して、検定官の歴史認識の誤りを指摘されたのでした。

 
この裁判は97年の最高裁判決まで続きましたが、この「朝鮮人民の反日抵抗」は否定のままで終わりました(ただし最高裁小法廷の裁判官5名のうち、否定意見は3名で、2名は家永先生の記述を承認)。

 

 
この裁判の継続中、93年3月、中塚先生は奈良女子大学を定年退職、その直前の2月に『近代日本の朝鮮認識』を研文出版から上梓されました。これまでの先生の朝鮮史研究に関する論文を主に編まれたものですが、その中には家永裁判での先生の長文の「意見書」も収録されています。

 

 

関西在住の先生は、三省堂での教科書編集会議や学術会議(学問の自由委員会)に出席する際の宿泊所として、水道橋駅からすぐ近くのグリーンホテルを定宿としておられました。

 
高文研はそのグリーンホテルから歩いて7、8分の近さだったこともあり、私は30年近くの歳月をへて、96年、先生に親しく再会しました。そこで実に興味深いお話をうかがったのです。

 
奈良女子大定年の翌年、1994年、ちょうど日清戦争の開戦から100年目の年、先生は福島県立図書館の「佐藤文庫」で貴重な史料を発見されます。

 
日本陸軍参謀本部が公式の日清戦史(公刊戦史)を作成する前の段階で作成された「戦史の草稿」でした。草稿だから、軍部(政府)に不都合な部分は削除したり、書き換えたりする、そのもととなった「事実」の記録です。

 

 
公刊戦史では、日清開戦の直前、日本軍の一部が朝鮮王宮に入ったのは、王宮のそばを行進していた日本軍と王宮内の朝鮮軍がたまたま接触した不慮の事態が生じたため、やむを得ず日本軍の一部が王宮内に入ったのだと説明されています。

 
ところが草稿には、日本軍は綿密な作戦計画のもと、入念な準備をした上で王宮に侵攻、王宮を占領して国王を拘束したことが書かれていました。

 

 どうしてそんなことをしたのか。

 
朝鮮ではこの年の春、政府の圧政と官僚の腐敗にたまりかねた人民による蜂起(東学農民革命)が起こり、半島の南西部を占拠しました。

 
それに手を焼いた朝鮮政府は、清国に援軍の派兵を頼みます。それを見て、日本もすかさず出兵しました。かねてから、朝鮮の実質的支配をめざして、朝鮮の「宗主国」である清国を駆逐する、その機会をねらっていたからです。

 
しかし清国と戦端を開くためには、その「名分」が必要です。そのためのうまいリクツが、見つからない。

 
そこで、朝鮮国王を「とりこ」にして、日本政府に対し、国王に、「清国軍を駆逐してほしい」と依頼する文書を書かせるため、極秘に作戦を練って王宮に侵入、ねらい通りに事を運んだのでした。

 

参謀本部による公刊戦史は、したがって事実を隠蔽し、虚偽を書いているのです。つまり、歴史の偽造です。

 
先生のこのお話を聞いて、私はすぐに執筆をお願いしました。それが、97年に出版した『歴史の偽造をただす―――歴史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」』でした。この「ただす」には、「正す」と「糺す」の二つの意味を込めたのだ、という先生の言葉でした。

 

 
新しい世紀となった2002年、先生に執筆を依頼して『これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史』を出版しました。1969年の『近代日本と朝鮮』から34年が過ぎていました。

 
この間、韓国では軍事独裁政権下で民主化闘争がたたかわれ、その政治的・社会的・文化的状況は大きく変わっていました。そこで新しい時代の日韓・日朝関係をつくり出してゆくためには、新たな入門・啓蒙書が必要だと考えての出版でした。

 
幸い好評を得て、12刷を重ね、総計26000部に達しました。

 

 
それから5年後の2007年、先生の『現代日本の歴史認識』を出版しました。14年前の研文出版本の書名は『近代日本の朝鮮認識』でしたが、今回は『現代日本の歴史認識』です。主題がより広がり、深められました。

 
その「終わりに」の中に、先生の次の言葉があります。

 

 「現代日本の歴史認識における構造的な欠落・欠陥をどう回復してゆくか、まずなによりも歴史研究者にその責任が問われています。」

 

 
その日本人の歴史認識の最大の「構造的な欠落・欠陥」が、近代朝鮮・韓国の歴史についての認識でした。というのも、日本の近代史は、江華島事件から「韓国併合」による植民地支配までの朝鮮・韓国との関係を抜きにしては語れないからです。

 
しかもその「欠落・欠陥」は今世紀に入ってより拡大されました。政治的・社会的には、前世紀の末、1990年代後半からにわかに台頭した「歴史修正主義」による自国中心の歴史解釈と、それに連動した「従軍慰安婦」問題、次いで「徴用工」問題などです。それには、「君が代・日の丸」の法制化、教育基本法の「改変」が付随していました。

 

 
そうした流れの中で、2009年から11年にかけ、まさに〝「韓国併合」から100年〟の年をはさんで、NHKが司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」のスペシャルドラマを放映することが伝えられました。

 
司馬は「司馬史観」と言われるほど歴史に精通した作家として、名だたる文化人を含め大勢のファンをもつ人物ですが、実は第二次大戦後に大きく発展した「歴史科学」に対して強い批判的見解を抱いていました(『坂の上の雲』文春文庫版第2巻26ページ)。

 

 
その司馬の代表作である「坂の上の雲」がドラマ化される――ということは「司馬史観」がより誇張されて描き出されるということにほかなりません。

 そんなことを「歴史科学」の研究者として黙過できるのか!?

という問題意識から、先生は2009年夏、『司馬遼太郎の歴史観――その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』を出版されたのでした。

 

 
それから4年後、2013年、先生と井上勝生、朴孟洙(パク・メンス)先生の共著で、『東学農民戦争と日本――もう一つの日清戦争』を出版しました。

 
発行したのは2013年ですが、実は1995年に北海道大学で、人類学の資料ということで蒐集され、放置されていた、東学農民軍の幹部だった人物の頭蓋骨が発見されて以降の、上記の3先生を含む日韓両国の研究者による成果をまとめたものです。

 
編集を担当した私はそのオビに、本書出版の意義をこう記しました。

 

「日清戦争で最多の『戦死者』を出したのは、日本でも清国でもなく、朝鮮だった――日本でひた隠しにされてきた日本軍最初のジェノサイド作戦の歴史事実を、新史料を交え、生々しく伝える!」

 

 
この共同研究の過程で、先生は2001年5月、韓国の全州(全羅道)で開催された第1回の「東学農民革命国際大会」に参加され、翌2年夏には地元の奈良県歴史教育者協議会を中心に「韓国・歴史と平和の旅」を実施、さらにその後06年から、その全国版となる「東学農民戦争の歴史を訪ねる旅=日韓市民東学紀行」を毎年主催されることになります。

 
そしてそれは、今年23年まで、コロナ禍の年を除いて毎年、欠かすことなく続けられたのでした。もちろん毎回、先生も同行されての旅です。

 

 
その途中、14年には全羅北道で開かれた「東学農民革命記念祭」で、先生は第7回「緑豆大賞」を受賞されました。

 
「緑豆(ノクト)」とは、東学農民革命の最高指導者、全琫準(チョン・ボンジュン)の愛称で、「緑豆大賞」は東学農民革命の研究、顕彰に功労のあった人に贈られる賞です。先生にまことにふさわしい受賞でした。

 

 
その翌15年に先生は『歴史家 山辺健太郎と現代』を出版、さらに4年後、9月に卒寿を迎えられる19年2月に、『日本人の明治観をただす』を出版されました。この「ただす」にはもちろん『歴史の偽造をただす』の「ただす」と同じ意味が込められています。

 
それからも分かるように、本書の主題は、日本人の歴史認識に深く刷り込まれた「明治は栄光の時代」という見方に対する根底からの批判・修正でした。そのためここには、日本と朝鮮の関係についての先生の研究の成果が総括的に盛り込まれていました。

 

 
そして3年後の2022年、『増補改訂版 これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史』が最後の著作として出版されました。20年前の本を全面的に改訂、大幅に加筆し、とくに最終章の「未來のために歴史を語り合おう」は新たに書き下ろされました。

 

 
翌23年10月30日には、韓国全羅南道の羅州市に、日韓両国の市民に拠金を呼びかけて建立される祈念碑「羅州東学農民軍犠牲者を悼む碑」の除幕式が、次いで翌31日には「東学農民革命日韓国際学術大会」が予定され、そこで先生は「基調講演」をされることになっていました。

 

 
しかし今年春ごろから先生の健康状態は思わしくなく、あるいは、と予感されたのか、秋の「基調講演」の草稿を早くに準備され、それについて私に意見を聞かせてほしいとのご依頼がありました。

 
それで私見を送ったところ、7月13日に先生から「改訂文」が、さらに7月23日の日付で、「確定原稿です。お世話になりました」の添え書きをつけて最終稿が送られてきました。公的な文章としては、これが先生の絶筆となったと思います。

 

 
講演草稿のタイトルは、「現代日本の歴史認識と市民運動」となっており、最後はこう締めくくられていました。

 「・・・除幕された『羅州東学農民軍犠牲者を悼む碑』は、日韓両国の市民による、歴史の事実をみつめ、未来に対する平和と人権の確立への揺るがない決意を表したものです。

 
韓国・日本の自覚した市民運動の『歴史認識の一つの到達点』を示した記念碑だと私は思っています。

この道が、未来に向かって大きく広がることを私は心から願っています。」

 

 

10月29日、祈念碑の除幕式の前日、先生は永い眠りにつかれました。しかしその思いは、先生も共に加わって作成された碑文によってみなさんの胸にとどいたことと思います。

 

 
私見ですが、歴史学研究者には二つの使命があると思います。一つは言うまでもなく、史料の探索・発掘やその見方を通して歴史の事実(真実)を明らかにすること、いま一つはそうして得た成果を人々に伝え、それにより科学的に正しい歴史認識の形成に役立てることです。


この後者をひと言でいえば、歴史学研究者の社会的使命ということです。

 

中塚先生は、歴史学者として第一の使命を十二分に果たすとともに、第二の使命についても、第一に劣らぬ情熱をもってとりくまれました。

冒頭のところで紹介したように、先生は最初の著書である『日清戦争の研究』の「はじめに」で、執筆の意図と思いをこう述べておられました。

「日本の近代化とはどういうものであり、日本の〝栄光〟といわれるものがいかなるたぐいのものであ」るかを究明したいのだ、と。

 

先生は大学定年後の30年を、第一の使命とあわせ、とくに第二の使命を果たすために全力でとりくまれました。そうしてきわめられたのが、市民運動の「歴史認識の一つの到達点」だったのでしょう。

 

権力者による事実の隠蔽、歴史の偽造を突きくずし、虚構の煙幕をはぎとり、歴史の事実に立ち、事実にそくして、現代日本の歴史認識をどのように形成してゆくか――先生の生きられた94年間は、まさしくその問題意識につらぬかれた一生だったと思います。

 

◆高文研から出版された中塚先生の著作=書名と初版発行年

『歴史の偽造をただす』(1997年 品切・オンデマンド版あり)

『歴史家の仕事』(2000年 品切)

『これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史』(2002年)

『現代日本の歴史認識』(2007年 品切)

『司馬遼太郎の歴史観』(2009年)


『NHK「坂の上の雲」の歴史認識を問う』(2010年、安川寿之輔、醍醐聡氏との共著)


『東学農民戦争と日本』(2013年、井上勝生、朴孟洙氏との共著)


『歴史家 山辺健太郎と現代』(2015年)


『日本人の明治観をただす』(2019年)


『増補改訂版 これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史』(2022年)

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