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アジア新風土記(18)ホンコンラン
著者紹介 津田 邦宏(つだ・くにひろ) 1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。 |
香港に冷たい風が吹き始める11月になると、赤紫色のランの花に似たホンコンランが咲き始める。九龍半島の山道、あるいは香港島の公園の一角から開花が伝えられると、香港の人たちは今年もまた冬がやってきたと実感する。
香港は観光客の多くが市街地しか歩かないのであまり知られていないが、意外と山野に恵まれ、トレッキングコースが整備されている。秋も深まっていくと英領植民地時代の軍隊の連絡路を起源に持つといわれるトレイルの傍らに黄色の野菊が鮮やかに群落をつくり、日本と同じようなススキが風を受け、斜面にはツバキの仲間である大頭茶(ダイトウチャ)が白い花を咲かせる。
大頭茶の英名は「False Camellia(ニセツバキ)」だが、ホンコンツバキの方が似合っているという人もいる。木々の中にあって高く自生するホンコンランは熱帯の深い山の高木に絡みつきながら咲くランのように野趣に富んで奔放だ。その深い赤紫の勢いは、都会の公園に柔らかく咲く花と、これが同じ花かと一瞬戸惑うほどだ。
ホンコンラン
台北市の林森・康楽公園のホンコンラン。香港以外でもマカオ、台湾など各地で見られる
ホンコンランの英名は「Bauhinia(バウヒニア)」で一般的には「Hong Kong Orchid Tree」と呼ばれている。中国名は「洋紫荊」だ。学名は「Bauhinia blakeana」。香港原産のマメ科の木で樹高は4~5メートルにもなる。葉は厚く大きい。枝分かれした先に10個以上の蕾をつけ、直径10~15センチの赤紫色の花を次々に咲かせる。花弁は5枚。落花すると長いさお状の実ができるが、種子は実らない。葉の形が羊の蹄を連想させることから羊蹄木(ヨウテイボク)の別名も持つ。
「HONG KONG TREES」(Published by The Urban Council Hong Kong 1988)によると、1908年にフランス人宣教師が香港島西部・薄扶林の海辺にあった廃屋近くで見つけ、香港12代総督ヘンリー・ブレイクによって命名された。学名の「Blakeana」は総督の名に因んでつけられた。香港島を東西に走るトラムの西の終点に位置する薄扶林地区はいまでは香港大学があり、周囲には高層住宅が立ち並ぶ。
英国はアヘン戦争で香港を領有した直後の1843年、ビクトリア港に面する香港島・中環(セントラル)をビクトリア女王の名から「ビクトリア市」と命名、ホンコンランが発見された後はコインの図柄にも取り入れた。1965年には香港の市花に選ばれ、中国に返還された後は香港特別行政区(香港特区)の区旗に採用される。いわば香港の歴史とともに歩んできた花といってもよかった。
香港特区の区旗は区章とともに、97年以降の香港の「憲法」とされた香港特区基本法の第10条によって取り決められている。基本法は英文と中文の二つが作成され、英文には「バウヒニア」の名称が明記されているが、中文は「紫荊花」になっていて、「洋紫荊」の「洋」の字はない。
紫荊花は大陸を原産とするマメ科の落葉低木、ハナズオウ(花蘇芳)を指すといわれ、学名は「Cercis chinensis」だ。3月から4月にかけて、葉の出る前に咲くチョウの形をしたような赤紫色の花はホンコンランより少し小さい。5世紀から6世紀にかけての中国・六朝時代・梁の「続斉諧記」(志怪小説―超自然現象などのエピソードを集めた記録集)に、兄弟3人が遺産分けに一株の紫荊花を三分しようとして枯れかけたので切るのをやめたところ樹勢が回復したことから、兄弟の仲が戻ったという故事が紹介されているなど、古(いにしえ)から人々に知られた花だった。
香港では自生していないことからホンコンランを誤って紫荊花と思っている人も多く、基本法の中文版は二つの花を混同したのかもしれない。しかし、大陸では「紫荊花=花蘇芳」として馴染みの花が、花期も学名も異なるホンコンランを間違えるだろうか。西欧的なにおいのする「洋」をあえてはずしたのか。返還当時も話題になったが、はっきりとしたことはわからなかった。「洋」というたった一文字の有無についての詮索は些細なことかもしれないが、基本法は返還がまだ7年も先の1990年に作成された。香港が限りなく中国化していく現在の状況を暗示させるような一文字の「抹消」と言えなくもない。
12月の街はポインセチアが加わって一層華やかになっていく。「聖誕花」という中国名そのままに、クリスマスシーズンの到来だ。通りにホテルのロビーにポインセチアの鉢植えが並び、人々の心を弾ませてくれる。ビクトリア港を挟んで香港島と九龍半島に林立するビルというビルは日ごとにイルミネーションの美しさを競い出し、光は波頭の舞う海の底に吸い込まれていく。
クリスマスは英領植民地時代からの祝日だ。返還後は英国のエリザベス女王誕生日こそ外されたが、4月のイースター(復活祭)は残った。キリスト教関係のほか、釈迦の誕生日も祝日になっており、国際都市といわれた由縁の一つかもしれない。
2019年冬のクリスマスはデモの人たちで溢れた。ショッピングモール、ホテル、目抜き通りに民主化を求める人たちが集まり、解散を求める警官らと対峙した。20年は香港国家安全維持法(国安法)が6月に施行され、静かな活気のないままにクリスマスが過ぎていった。21年はどうだろうか。
中国では中国固有の文化が喧伝され、春節、中秋節のような伝統的行事を重視すべきだとしてクリスマスなどの欧米のセレモニーへの規制が顕著になりつつある。「クリスマスは中国人の祝祭ではない」という言葉も聞かれ始めている。習近平国家主席が掲げる宗教中国化の方針がより鮮明になっていき、聖職者に愛国第一を求め、教会ミサへの締め付けも厳しくなってきているという。
香港政府が21年5月に発表した22年の祝日では、クリスマス、イースターなどはそのまま維持されているが、「大陸と変わらない香港」を目指す動きが加速すれば、クリスマスミサの自粛、クリスマスセールの規制といった措置がとられる可能性も捨てきれない。
香港の2021年も間もなく終わる。クリスマスのイルミネーションの煌めきこそ変わらなくても、暗く深い海に投影される輝きに幻惑されることを楽しむ人たちはどれだけいるのだろうか。