アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
新版 東学農民戦争と日本
もう一つの日清戦争
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いまから130年前、日清戦争のきっかけとなった東学農民戦争(甲午農民戦争)は、過酷な農民収奪と日本軍の主権侵害・侵略行為に対する抗日運動のふたつのうねりから発生した事件です。日本政府は「虐殺専門部隊」として後備第十九大隊三中隊を新たに朝鮮に派遣し、この部隊が東学農民軍を済州島まで追いつめ、殲滅しました。1995年、北海道大学に放置されていた東学農民軍幹部の頭蓋骨が発見され、日本でひた隠しにされてきた日本軍最初のジェノサイド作戦の歴史事実を、日韓の共同研究にもとづき、新史料を交えて明らかにしたのが本書です。
近代日本と朝鮮・韓国の歴史について、著者の中塚明氏(昨秋死去)は史料の発掘やその見方を通して歴史の事実を明らかにし、そうして得た成果をより科学的に正しい歴史認識の形成に全力で取り組んで来られました。本書もそうした積み重ねを繰り返した労作です。新たに《韓国における東学農民戦争に関する研究状況と「謝罪の碑」の建立》の稿を加え新版となりました。日韓歴史のコーナーにてご展開ください。
日清戦争(1894-95)で最多の「戦死者」を出したのは、日本でも清国でもなく朝鮮だった──。
日清戦争のきっかけとなった、「東学党の乱」として知られる東学農民戦争(甲午農民戦争)は、過酷な農民収奪に耐えかねた「第1次蜂起」と朝鮮王宮に押し入って国王を擒にするなど日本軍の主権侵害・侵略行為に対する抗日運動としての「第2次蜂起」に分けられる。
日本政府・大本営はこの民衆蜂起を弾圧するため、「虐殺専門部隊」として後備第十九大隊三中隊を新たに朝鮮に派遣した。この部隊が東学農民軍を済州島まで追いつめ、殲滅した。
本書は、日本でひた隠しにされてきた日本軍最初のジェノサイド作戦の歴史事実を、日韓の共同研究にもとづき、新史料を交えて明らかにした労作である。
Ⅰ 日清戦争をめぐる歴史の記憶
日清戦争についての日本人の記憶
日本軍の第一撃がなぜ「朝鮮王宮占領」だったのか
東条英教の『隔壁聴談』
ある大隊長の自殺――歓迎されない日本軍
Ⅱ 東学農民戦争はどうして起こったのか
「東学」とはなにか
朝鮮への偏見が生んだ東学「邪教」観
朝鮮王朝末期の民衆と欧米の圧力
東学とはどういう思想か
東学のひろまり――潜行した布教から集団的示威運動へ
わきおこる農民の大衆運動
東学農民戦争の展開
Ⅲ 日本軍最初のジェノサイド作戦
1 朝鮮全土でわき起こった東学農民軍の再蜂起
北と南――東学農民軍の全容をどうとらえるか
日本軍の弱点――兵站線へのゲリラ攻撃
2 川上操六の「悉く殺戮」命令――殲滅作戦の序曲
直ちに実行に移された「命令」
朝鮮の社会通念とは異質の処罰法
3 包囲殲滅作戦と大本営――殲滅大隊への派遣命令
井上馨公使が打った伊藤博文総理への電報
派遣大隊長・南小四郎少佐の閲歴
「二中隊」がなぜ「三中隊」に拡大されたのか
4 連山の戦闘現場――日韓の共同調査から
農民軍のゲリラ戦術に翻弄された南大隊長
場所も日付もすりかえられた日本軍戦死者
戦史から消された東学農民戦争
一瞬で山々を埋めつくした白衣
5 乱発された殲滅命令
軍艦まで派遣した包囲殲滅作戦
日清戦争での最多の「戦死者」は朝鮮人だった
相次いだ殲滅命令と厖大な犠牲者
6 一日本軍兵士の「従軍日誌」から
記録された殺戮の地獄絵図
下士官たちが書き残した殺戮の「愉快」
自殺した二人の将校
東学農民戦争はなぜ黙殺されてきたのか
日本の「強兵」路線が残したもの
Ⅳ 東学農民戦争の歴史をあるく
歴史の現場に立つ
ビビンパの一番おいしい街と世界遺産の支石墓
「沙鉢通文」を刻む「東学革命謀議塔」
茂長――東学農民革命発祥の地
黄土峙(ファントゼ)の丘
「無名東学農民軍慰霊塔」の衝撃
参礼の東学農民記念公園
公州を目前にした大激戦地・牛金峙(ウグムチ)
なおつづいた抗戦――連山
「報恩東学の道」
長興――二つの記念碑
羅州――日本軍最後の皆殺し作戦の基地
珍島――「ドクロ」を採取した場所
大山――記録に残る東学農民軍最後の戦い
東学農民革命記念館が語りかけるもの
Ⅴ 東学農民革命と現代韓国
光州事件のさなか、軍の中にいた私
夜学運動の先頭に立って学んだこと
民主化運動の原点としての東学農民革命
フィールドワークを主体に研究三〇年
「人骨放置事件」から始まった日韓共同研究
草の根レベルの交流の発展
現代に生きる東学の思想「ハンサリム運動」
明日への提言