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〈正誤表〉 『日本ナショナリズムの歴史』Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ巻
『日本ナショナリズムの歴史』をご購読頂きまして、誠にありがとうございます。
初版出版後、後記・誤植が見つかりましたので、以下のとおり訂正いたします。
初版出版後、後記・誤植が見つかりましたので、以下のとおり訂正いたします。
巻数 | 頁 | 行 | 誤 | 正 | 追加 |
Ⅰ巻 | 69 | 後より4行目に追加 | 宣長は後年、詳細な考証による論稿「国語考」を発表しています。 | ||
154 | 後より2行目 | 大隈半島 | 大隅半島 | ||
258 | 後より5行目 | 1575年 | 1975年 | ||
311 | 2行目 | 1953年 | 1853年 | ||
321 | 後より3行目 | 初期の目的 | 所期の目的 | ||
332 | 6~7行目 | 安倍正弘 | 阿部正弘 | ||
348 | 後より7行目 | 徳川慶喜は、フランスの | は、以後フランスの | ||
349 | 後より7行目 | とともに京都へ | とともに長崎から京都へ | ||
349 | 後より2行目 | (おおやけにして) | (議院での討議によって) | ||
352 | 最終行 | は完了したのです | はこの第六段階をもって完了したのです | ||
巻数 | 頁 | 行 | 誤 | 正 | 追加 |
Ⅱ巻 | 7 | 3行目 | 岩倉が読み上げた | 下された勅諭 | |
16 | 後より4行目 | しかし「大号令」は、徳川家は取りつぶす、と言っているのです。 | しかし「大号令」に引きつづく御前会議では、徳川の所領没収の方針が打ち出されているのです。 | ||
22 | 後より6行目 | てくれるものつくり出す | くれるものをつくり出す | ||
66 | 4行目 | 句点 | 句読点 | ||
67 | 2行目 | 句点 | 句読点 | ||
77 | 後より5行目 | 今日、四〇数種の | 一〇二種の | ||
106 | 8行目 | 1968年 | 1868年 | ||
106 | 9行目 | 大坂(2箇所) | 大阪 | ||
111 | 2行目 | 大坂 | 大阪 | ||
114 | 2行目 | 明治14年 | 明治15年 | ||
巻数 | 頁 | 行 | 誤 | 正 | 追加 |
Ⅲ巻 | 2 | 1行目 | (明治27~28)) | )のダブり、トル | |
8 | 後より2行目 | ルビ 「とう しょう」 | 「とうさんしょう」 | ||
48 | 7行目 | (前掲『新聞と昭和』) | 『新聞と戦争』 | ||
110 | 1~9行目 | 引用文、2字下げ | |||
127 | 後より3行目 | 安倍信行 | 阿部信行 | ||
144 | 5行目 | 抗議 | 講義 | ||
161 | 後より6行目 | ルビ 「だしなみ」 | 「たしなみ」 | ||
162 | 後より4行目 | ルビ 「だしなみ」 | 「たしなみ」 | ||
189 | 後より6行目 | 久留米がすりをを | を のダブり、トル | ||
217 | 8行目 | 学制服 | 学生服 | ||
270 | 9行目 | 敗けるは思って | 敗けるとは思って | ||
306 | 後より3行目 | 沢俊儀 | 沢俊義 | ||
318 | 1行目 | 『象徴天皇への道』 | 『象徴天皇制への道』 | ||
380 | 2行目 | 6月5~14 | 6月4~14 | ||
380 | 後より3行 | 3月26日 | 3月25日 | ||
381 | 後より1行目 | よく見ることできた | 見ることができた | ||
398 | 9行目 | 帝国新聞の論説 | 帝国大学新聞 | ||
巻数 | 頁 | 行 | 誤 | 正 | 追加 |
Ⅳ巻 | 29 | 4行目 | 五一年 | 五〇年 | |
269 | 5行目 | 安倍晋三内閣の下 | 内閣(第一次)の下 | ||
304 | 1行目 | 大量兵器問題 | 大量破壊兵器 | ||
359 | 8行目 | 渡辺昇一 | 渡部昇一 | ||
359 | 11行目 | 高度済成長 | 高度経済成長 | ||
360 | 1行目 | 国家は君が代 | 国歌は君が代 | ||
418 | 4行目 | 主張したりできるはずはない | 主張することはできないはずだ | ||
439 | 5行目 | 高石邦男・初等中等局長名で | 初等中等教育局長名で |