アジア新風土記(38) 石垣市登野城尖閣



著者紹介

津田 邦宏(つだ・くにひろ)

1946年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。72年、朝日新聞社入社。香港支局長、アジア総局長(バンコク)を務める。著書に『観光コースでない香港・マカオ』『私の台湾見聞記』『沖縄処分―台湾引揚者の悲哀』(以上、高文研)『香港返還』(杉山書店)などがある。





東シナ海の尖閣諸島は古来、付近海域で漁労を営む人たち、鰹節製造、
アホウドリの羽毛採取などで上陸した人たちを除いてはほぼ無人だった。
その島々はいま、日中両国、そして台湾による係争の地になった。









2012年9月11日、日本政府は石垣島から北西170キロにある尖閣諸島最大の
魚釣島(約3.8平方キロ)と北小島、南小島の3島を民間の地権者から
20億5千万円で買い取り、久場島も米軍黄尾嶼射爆撃場として地主から
借り上げている。
島々の大部分を国有地及び国の借上げ地とすることは、日本領土であると
国際社会に宣言したことを意味していた。
地番は石垣市登野城(とのしろ)尖閣2390~2394番地。
石垣市が20年10月、旧字名の「登野城」に「尖閣」を加えた。

中山義隆市長は「行政手続きの範疇であり、政治的な意図はない」
と説明する。
市長は22年1月31日には現職市長として初めて尖閣周辺海域を視察、
魚釣島に1.8キロまで近づくなど「石垣市の尖閣」をアピールした。


日本が尖閣諸島を「領土」とする根拠を外務省ホームページにみる。

1885年(明治18)年、明治政府は沖縄県当局を通じて現地調査を行い、
無人島であり、清国の支配が及んでいないことを確認、1895年に沖縄県に編入する。
翌1896年、実業家古賀辰四郎が開拓許可を得てアホウドリの羽毛採取事業に乗り出す。
鰹節製造、サンゴ採集などに従事する人も加わって、最盛期は250人が生活していたという。
戦後は米軍の管理下に置かれたが、1972年に沖縄が本土復帰した後は
日本に施政権が返還されたとしている。


国有化から10年が過ぎた。
防衛省は先島諸島に自衛隊を重点的に配備する「南西シフト」に舵を切り、
2016年に与那国島(陸上自衛隊沿岸監視隊170人)、
2019年に宮古島(対空・対艦ミサイル部隊約700人)と
相次いで駐屯地を設置した。
2022年度中には石垣島にもミサイル部隊の駐屯地を置く構想を持つ。



米軍の関与はどこまでか。バイデン米大統領は2021年の日米首脳会談で
米国が日本への武力攻撃などに共同で対処するとした日米安全保障条約
第5条の適用対象になると明言したが、5条は米国がどう対処するかを
決定するにとどまり、米軍派遣、武器弾薬供給などは規定されていない
という指摘もある。

東日本大震災時、統合幕僚監部防衛計画部長として米軍に対応した
磯部晃一元陸上自衛隊東部方面総監は
「まず日本自身が尖閣諸島を領有する意思をはっきり示さない限り、
米軍が尖閣諸島防衛に手を貸そうという気にはならない」と話す。
(朝日新聞2022年6月9日夕刊)


中国の領有権の主張は「歴史書」に基づく。
明代の琉球冊封使陳侃(ちんかん)の『使琉球録』(1534)に
「釣魚嶼、黄毛嶼、赤嶼を過ぎ、・・古米山(久米島)を見る、乃ち琉球に属する者なり」
とあり、久米島の西にある尖閣諸島は中国領とする。
また胡宗憲の『籌海図編』(1561)にも釣魚嶼が記載されているという。


台湾は日清戦争後の下関条約によって尖閣諸島も台湾と共に日本に割譲され、
太平洋戦争後の台湾放棄によって尖閣も当然台湾に還るとする立場だ。
台湾北部から尖閣までは石垣島からの距離と同じく170キロしか離れていない。


中国も台湾もしかし、戦後の20年以上は積極的な姿勢を示すことはなかった。
具体的な動きは1968年に日本政府が国連・アジア極東経済委員会(ECAFE)の
協力を得て海底調査を実施してからだ。

有望海底油田の可能性という情報が「宝の海」に、
そして「係争の地」にさせたといえなくもなかった。

1971年6月、台湾がまず釣魚台(尖閣諸島の中国名)を領土とする外交部声明を出す。
半年後の12月には中国が正式に領有権を表明した。


中国、台湾の尖閣領有の主張はナショナリズムを鼓舞する上では格好の材料だった。
その一つを返還直前の香港で経験する。


1996年、日本青年社による北小島の「第二灯台」建設に、
尖閣諸島海域を主な漁場としていた台湾東部・宜蘭県の漁民らが
「釣魚台を守れ」と声を上げ、抗議の船団を仕立てる。

香港でも呼応するかのような運動が起こり、「愛国」の名のもとに活動家らを
乗せた香港の貨物船「保釣号」が同海域に向かう。

日本の巡視船に阻止された後、リーダーが抗議の意思を込めて海に飛び込むが、
体に結んだロープで身動きがとれなくなって波に呑まれた。

香港・啓徳空港に帰ってきた棺は香港旗ではなく中国旗に包まれていた。
街に見る五星紅旗はそれまでは中国・国慶節前後だけだったが、
公然と登場した光景に人々は「中国国民」となる日の近いことを改めて納得させられた。



尖閣諸島海域はいま、中国政府所属の公船による日本の領海
(沿岸から12カイリ、1カイリは1852㍍)及び接続水域(同24カイリ)内の
航行が常態化している。

公船には機関銃などを搭載した船舶も目立つようになった。
海上保安庁によれば2022年8月の中国海警局船舶による接続水域内入域は
31日連続の延べ121隻、領海侵入は6日延べ16隻に上る。

国有化当時1千トン以上の中国公船は40隻で、海保・巡視船の51隻を
下回っていたが、現在は約2倍の130隻になった。

海保も2016年に最新鋭大型巡視船など14隻からなる
「尖閣領海警備専従部隊」で対抗、双方のせめぎ合いが続いている。



尖閣問題は台湾を巡る米中対立によってさらに複雑化する。
中国は2022年8月10日、2022年振りの「台湾白書」を発表、
「祖国統一に向けた強い意志と決意」を改めて強調した。

武力行使を否定せず、米国が頻繁な公的往来などで台湾に接近していると
批判する。
米国もバイデン大統領が9月18日
「前例のない攻撃があった場合は台湾を守る」と牽制する。

中国の「尖閣実効支配」は単独の行動としては想定しがたいが、
偶発的な衝突による現状の変更がないとも限らない。
日本政府が先島諸島に住民用避難シェルター整備の検討を明らかにするなど
「台湾有事」への「備え」が顕在化しつつあるようにも思える。


陸上自衛隊沿岸監視隊が駐屯する与那国島は空と海が
その青さを競うように輝いていた。
海と陸を分ける断崖にまで迫る牧場に、背丈の小さな与那国馬がゆ
っくりと草を食んでいた。

辺りの空気も時間もゆったりと流れ、駐屯地だけが次元を異にする
構造物だった。この島にもいずれシェルターがつくられるのだろうか。




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