アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
虐待・いじめ悲しみから希望へ
今、私たちにできること
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子どもたちが人知れず抱えている悲しみを大人は知らない……
親の暴力、両親間のDV、過酷ないじめ……子どもたちの上に覆いかぶさる生きづらさと悲しみをどのように聴きとり、自己肯定感と希望を育んでいくのか。大学生たちが綴った子ども時代の手記を手がかりに、気鋭の臨床教育学者が読みひらく。
なぜ執拗ないじめが起きるのか、
いじめという行為を通して、子どもたちは何を訴えようとしているのか、
虐待を受けた子どもたちの心の傷は何によって癒やされるのか……。
子ども時代に受けた虐待・いじめ。その体験レポートから見えてくる心の叫び。子どもたちの命を守るために大人に課せられた課題とは!
自分の思いを受けとめ、応答してくれる他者が一人でも二人でもいてくれること、そのことが子どもたちの心の中で「希望の灯」となり、子どもたちのいのちを守っていく力、さらには「生きることへの希望」を育む力にもなってくれるのだと信じています。(本文より)
この本を企画したきっかけは、著者の楠先生からいただいた講演のレジュメでした。そこに綴られている子ども時代の体験を記した学生さんたちのレポートを読んで思わず声を失いました。
親の暴力、両親間のDV、執拗ないじめ、果ては性的虐待まで……。これでもか、これでもかというほど、一人や二人の特殊な体験レポートではないのです。大学に入り学んでいる人たちですから、それなりの学力もあり、家庭も貧困のどん底ある(あった)とは思えません。にもかかわらず、その彼らが子ども時代に受けたこの苦しみは何という過酷なものなのか! 日本の社会は、家庭は、大人たちは、こんなにも病んでいるのだろうかという激しい衝撃を受けました。
そのレポートの中で学生たちを綴っていました。苦しかったその時代、一番ほしかったのは何だったのか、最も傷ついたのはどんな言葉だったのか――。それは、もし今、目の前に、同じような苦しみを抱えている子どもたちがいたとしたら、その子どもたちのいのちを守り、希望へと導くために、大人たちが何をこそ大事にしなければならないかを雄弁に語るものでした。
この記録をぜひ一冊にまとめて下さいと、お願いしたのは昨年の秋でした。
第Ⅰ部は「虐待」、第Ⅱ部は「いじめ」――学生たちの切々としたレポートをもとに、その一本一本に著者がていねいに分析・解説を寄せたものです。
なぜ執拗ないじめが起きるのか、いじめという行為を通して、子どもたちは何を訴えようとしているのか、虐待を受けた子どもたちの心の傷は何によって癒やされるのか……。その分析は見事というほかなく、すべて胸に落ちます。
この貴重な一冊はとりわけ、小・中・高校の先生たちに読んでいただきたい思いです。今、目の前にいる困難を抱えている子どもたち、その子どもたちに向き合う視線がきっと変わっていくに違いないと思うからです。
Ⅰ章 子どもたちが家族の中で体験してきた生活世界を考える
1 親の言葉による暴力
2 両親の不仲、夫婦間暴力
3 性的虐待
4 ケアという名の支配
5 被虐待児と学校
6 体 罰
7 フツーの家族と虐待
2章 被虐待児、虐待サバイバーの人たちの自立支援を考える
1 自らの体験とそれに伴う感情を語ることの意味
2 自分を一個の人間として尊重してくれる「他者」との出会いの持つ意味
3 学校ができることは何なのだろうか?
第Ⅱ部 いじめ
1章 子どもたちが生きているいじめに満ちた生活世界
1 小学校低学年頃のいじめ問題
2 小学校中学年頃の時期のいじめ問題
3 小学校高学年から中1頃のいじめ問題
4 中学校2年生以降のいじめ問題
2章 いじめ問題に対する理解と取り組みの課題
1 いじめという行為をどう理解するのか
2 いじめ問題の克服に向けての取り組み
楠 凡之(くすのき ひろゆき)
1960年大阪生まれ。京都大学教育学研究科後期博士課程満期退学。北九州市立大学文学部教授。専門は臨床教育学、家族援助論。日本生活指導学会理事、全国生活指導研究協議会指名全国委員、日本学童保育学会理事、NPO法人学童保育協会理事長、学童保育指導員専門性研究会九州支部長。著書に『自閉症スペクトラム障害の子どもへの発達援助と学級づくり』(高文研)『いじめと児童虐待の臨床教育学』(ミネルヴァ書房)『気になる子ども 気になる保護者―理解と援助のために』(かもがわ出版)『気になる保護者とつながる援助』(かもがわ出版)他。