アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
イギリスで「平和学博士号」を取った日本人
英国の軍産学複合体に挑む
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飛騨の寒村に生まれ、貧しさゆえに大学進学をあきらめざるを得なかった青年が、デンマーク留学を転機に平和学を志し、日本と英国を彷徨の末、ついに英国の大学で日本人初の「平和学博士号」を取得。
勤務先の大学で政府・兵器メーカーとの癒着の構造に気づいた著者はたった一人で、大学の倫理問題・社会的責任問題として勤務先を告発、たたかいを挑んだ。
さまざまな困難を乗り越え、己の信念を貫いて生きてきた一人の学者の半生記。
原稿を初めて読んだ時、「屈せざる人」というのが著者に対する第1印象でした。飛騨の貧しい農家に生まれ、大学進学の夢をあきらめ、税関職員となった著者は、「世界中の同世代の若者と出会いたい」という一念で、当時、許されなかった海外留学を強行します。そこで出会ったイギリス人女性と結婚、日本とイギリスを行き来する人生が始まりますが、一読者として感じるのは「どうしてこの人は困難な道ばかり選択するのだろう」という思いです。
経済的な困窮に耐えながら、学問の道を志す著者の生き方や、「筋を通す」、己の学問に忠実に生きようとする姿に、自分には到底真似ができないと思うと同時に、人間の意志の強さに感動もしました。日本でもイギリスでも孤立を恐れず、節を曲げない一人の学者の半生記は、混迷を極めるこの時代に生きる私たち日本人に、生きる指針を与えてくれる本になったと思います。
Ⅰ 22歳のデンマーク留学闘争
◆真冬の「バイカル号」出帆
◆私の少年時代
◆市ヶ谷税関研修所
◆名古屋税関監視部
◆「インターナショナル・ピープルズ・カレッジ」出願
◆許可が下りなかった留学
Ⅱ 我が青春のエルシノア
◆シベリアを越えて
◆共学・共働・共生の国際空間
◆ガンビアの国境線
◆始発駅・エルシノア
◆イギリス女性との結婚
◆イギリスへ
Ⅲ イギリスでの底辺生活と娘の誕生
◆ヨークシャーで暮らし始めて
◆ウェザビー・ハイ・スクール理科助手
◆キャラバン・サイト
◆マヤの誕生とイギリスの病院
◆異国での子育てと仕事と勉強
◆イギリス英語と階級社会
◆イギリスの大衆紙と高級紙
◆イギリスか日本か
Ⅳ 故郷・飛騨での英語塾経営
◆冬のセールスマン
◆「蒼い目のママさん先生」
◆「チガイマース!」
◆反「体罰」運動
◆さようなら体罰・日の丸・飛騨
Ⅴ ブラッドフォード大学「平和学」部
◆ローマ軍団の都市・バイキングの村
◆クエーカー教徒の学校
◆ヨーク大聖堂の光と影
◆平和学部と私の出合い
◆平和学修士コース
◆平和学部と日本国憲法第九条
◆日本人初の平和学博士を目指して
◆平和学部内の対立問題
◆サッチャー首相がつぶせなかった学部
◆平和学部を創った人々
Ⅵ 大学の「軍事化」を告発して
◆大学に忍び寄る海外軍人の影
◆武器輸出関与の告発
◆「平和研究センター」設立
◆「クウェート空軍訓練将校」の存在に気づく
◆「職場クーデター」の夏
◆英国情報公開法でわかったこと
◆〝抵抗の笛〟を吹き続けること
おわりに
中村久司(なかむら・ひさし)
1950 年、岐阜県生まれ。
元ヨーク・セント・ジョン大学日本プロジェクト・オフィサー。
岐阜県立斐太実業高校電気科卒業後、名古屋税関に就職。
1975 年に税関を辞めて渡英し、日英を往来の後、1988 年からイギリスのヨーク市に永住。1994 年、ブラッドフォード大学で平和学博士号取得。
英国の二つの大学で国際教育プロジェクトを担当。2010 年に解雇される。
2008 年、日本国外務大臣表彰を受賞。
2014年『観光コースでないロンドン』