アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
東京の「教育改革」は何をもたらしたか
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東京の教育は変貌した。石原都政発足から12年、「都立学校を変え、東京から日本を変える」と豪語した知事。
その「改革」がもたらしたものとは?
職員会議から話し合いの場が奪われ、従わない者は処分、
業績評価で教師を競わせ、身分をランク付。
今や沈黙と諦め、服従の場と化した教育現場――。
本書は、「改革」の嵐の中を翻弄された筆者が自身の体験をもとに、東京の教育が変貌していく過程を検証し、真の教育を取り戻さねばならないと、万感の思いを込め訴えた一冊です!
三人の新採教員が教壇に立ってわずか半年(うちお一人はわずか2カ月)で自死した問題を本にまとめたのが二年前のことでした(『新採教師はなぜ追いつめられたのか』)。以来、ずっと気になっているのは東京の教育についてでした。
急増する教師の精神疾患、早期退職者の増加、教員採用試験の倍率は落ち込み、管理職になっても降格を望む者があとをたたない……、これらの比率が東京は全国の中で群を抜いているのです。地方で教師をしている人たちが口にするのは、「東京の教師だけにはなりたくない」という言葉。いったいなぜ? いつからそんなふうに東京の教育はそのような状況になったのでしょうか。
東京の「教育改革」は石原都政が誕生して以降、急テンポで進行しました。「都立高校を変え、東京から日本を変える」と宣言した知事の言葉は、ほぼその通り全国に広がりを見せているのが実情です。しかしその「改革」がもたらしたものが、上記のような実態だとしたら……。
本書は、石原都政誕生と同時に都立高校校長となり、「改革」の嵐の中を翻弄された筆者が自身の体験をもとに、東京の教育が変貌していく過程を検証し、東京に真の教育を取り戻さねばならないと、万感の思いを込め訴えた書です。
今や校長は「教育者でなく、経営者でなければならない」とされる中、学校に「行政のことばでなく、教育のことばを取り戻さねばならない」と繰り返し語り、「教師とは?」と問われれば、「あふれる思いのある人のこと」の信念のもと、生徒に、先生方に向き合い続けた一管理職の得難い証言記録です。
1 東京の「教育改革」のはじまり
(1)教頭として心がけた三つの事柄
(2)『都立高校白書』の衝撃
(3) 教頭の仕事・教科課程編成とその裏側
2 改革の最初の洗礼・新宿高校問題
(1)社会的に糾弾された「水増し請求問題」
(2) 現場の弱点が「改革」への端緒に
3 曲がり角の久留米高校へ
(1)二次募集校に陥っていた久留米高校
(2) 校長としての基本姿勢
(3)「校務連絡」と「校長室より『久留米』」の発行
(4) 久留米高校問題連絡協議会の設置
4 都立高校改革推進実施計画の対象校に
(1)久留米高校が直面する課題
(2) 一方的に言い渡された統廃合
(3)「都立高校改革推進計画」とはどういうものか
(4) 地域ぐるみの反対運動に
(5) 全都に広がった統廃合反対運動
(6) 統廃合後の新設校に向けて構想を描く
(7) サッカー部の活躍惜しむマスコミの声
(8) 校舎新設の約束も反古に
第Ⅱ章 管理と監視下の学校
──「職員会議の補助機関化」と「人事考課制度」
1 職員会議の「補助機関化」
(1)学校運営のあり方を根底から変えた「学校管理運営規則」の改定
(2) 全教職員による協議が奪われた職員会議
(3) 職員会議とは何だったのか
(4) 校長の権限も学校の裁量権も奪われて
2 業績評価で教師を競わせる「人事考課制度」
(1)「人事考課制度」とは
(2) 教育活動に競争的評価はなじまない─私の視点から
(3) 業績評価(教員評価)の実際
(4) 業績評価は何をもたらしたか
3「憲法・教育基本法」も否定した教育委員会
(1)石原知事を支える「特別な教育委員会」メンバー
(2) 教育委員会基本方針から「憲法・教育基本法・子どもの権利条約」
を削除
(3) 政治的介入・干渉の中での七生養護学校事件
4 解体された校長会
5 「学校運営」から「学校経営」へ
(1)「校長は教育者ではない、経営者である」
(2) 私の「学校方針」づくり
第Ⅲ章 命令と強制の「日の丸・君が代」問題
1 卒業式で強制された「職務命令」
(1)国旗掲揚と国歌の起立斉唱を義務づける通達
(2) 従わないものは処分、新「実施指針」の中身
(3) 私の苦悩─強制は教育にはなじまない
(4) 贖罪を背負う
(5) 最後の卒業式で問いかけたこと
(6)「職務命令」の意図は何だったのか
2 もの言えぬ校長・校長の権限と責任とは
(1)そこまでやるのかー服務監察
(2) 諦めて従うしかない……
(3) 教育委員会から受けた呆れかえる処分
3 退職するに当たって
第Ⅳ章 東京に「教育」を取り戻すために
1 疲弊しきった学校現場
(1)生徒の内心にまで踏み込んだ「君が代斉唱」
(2)「奉仕」の必修化と行政による学校の直接管理
(3) 業績評価改定で教師を格差付け
(4) 挙手・採決を許さない職員会議へ
(5) 教員身分を八階層に
2 元校長・教頭による教育基本法「改正」反対の取り組み
(1)呼び掛け人を募る
(2) アピール発表と国会への要請行動
(3) 取り組みを振り返って
3 「東京の教育を考える校長・教頭(副校長)経験者の会」を
立ち上げる
(1)新たな運動に向けて
(2) ひとまわり大きな会に
(3) 通信『ひとなす』の発行
4 「東京の教育」の再生を目指して
(1)いま東京の教育はどうなっているか
(2) 教育庁内部で抱える矛盾
(3) 私たち退職者の役割
第Ⅴ章 悩み多き校長、されど希望を
1 私の出会った校長たち
2 追い込まれる校長たち
3 私の校長論
(1)大事にしてきた三つの視点
(2)「教育のことばを語る」校長に
(3)「命令する人」から「励ます」校長に
(4) マイナスをプラスに転化する
(5)「教員に責任を転嫁」しない「責任をとる」校長に
(6)「安心して自分を語り、互いに認め合える」職場づくりの先頭に立つ
(7) 教職員自らの管理職論を
4 されど希望を
(1)黙らず、諦めず、問い続けること
(2) 生徒・親・教師の現実と思いから
(3) 生徒・親・地域との繋がりに支えられて
◆ 資料[私たちの呼びかけ]今こそ、学校・地域からよりよい教育を
求める大きな教育論議を!
◆年表・東京の「教育改革」の主な動き
おわりに
渡部 謙一(わたべ・けんいち)
1943年生まれ。1966年都立高校教諭となる。以後、三つの高校の勤務を経て、1995年千歳丘高校教頭、99年から都立久留米高校校長に。2004年3月定年退職。その間、東京都高等学校特別活動研究会会長、全国特別活動研究会副会長、東京都教育研究開発「特別活動」委員長等歴任。04年都立小金井北高校嘱託。05年より都留文科大学、東京家政学院大学、法政大学で非常勤講師を経て、現在都留文科大学非常勤講師。「東京の教育を考える校長・教頭(副校長)経験者の会」事務局。「東京の教育改革」また「教育管理職論」については『教育』(教育科学研究会)、『人間と教育』(民主教育研究所)、『高校の広場』(日高教)、『学校運営』(全国公立学校教頭会)『新自由主義教育改革』(大月書店)等に執筆。