アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
ひきこもりの若者と生きる
自立をめざすビバハウス7年の歩み
全国に数十万人と言われる「ひきこもり」。その若者達と毎日の生活を共にしながら、彼らの再起と自立への道を探り続ける元高校教員夫妻の7年の奮闘記!若者とその家族の苦悩に向き合い続けた北海道ビバハウスの7年を語る!
Ⅰ ビバハウス誕生(二〇〇〇年九月~二〇〇二年七月)
〈特別号〉ビバハウス開設の日──二〇〇〇年九月一日
若者たちに働く場を──二〇〇一年一月
若者たちの笑顔を誰よりも喜んでくれた人──二〇〇一年二月
働く夢への実現をめざして──二〇〇一年三月
合気道教室開講──二〇〇一年四月
バイトが決まった=──二〇〇一年六月
今度は失敗しないぞ──二〇〇一年七月
予期せぬ出来事──二〇〇一年八月
そして誰もいなくなった──二〇〇一年九月
ビバの救いの主・いま輝く池田賢吾くん──二〇〇一年一〇月
突然の可愛い来訪者、ビバのエンジェル陽子さん──二〇〇一年一一月
寝正月──二〇〇二年一月
反響の大きさにビックリ、新聞報道の威力──二〇〇二年三月
北国の春、八人それぞれの現在──二〇〇二年五月
つらい春を乗り越えて──二〇〇二年六月
ビバハウス一泊旅行は最高速度で日高路へ─二〇〇二年七月
Ⅱ 働く喜びをめざして(二〇〇二年八月~二〇〇四年九月)
近づくビバ設立二周年の日──二〇〇二年八月
はじめてのロングホームルーム──二〇〇二年九月
ついに椎茸ができた=──二〇〇二年一〇月
若者たちが語りだした=──二〇〇二年一一月
ビバハウスのクリスマス──二〇〇二年一二月
今年のビバのお正月は一月二五日──二〇〇三年一月
もう一つ新しい椎茸園ができた──二〇〇三年四月
皆と一緒にやっていけないので僕はビバを出ます──二〇〇三年六月
二回目のロングホームルーム──二〇〇三年七月
支えられて迎えた三周年──二〇〇三年九月
収穫祭に若者たちが初出演──二〇〇三年一一月
諒くんはなぜビバハウスに来たのか──二〇〇四年一月
雪解けを待つ──二〇〇四年三月
引きこもり一〇年、賢くんの挑戦──二〇〇四年五月
新しい命の誕生とカナダ遊学の夢──二〇〇四年六月
『女性自身』&TBS、鳴りやまない電話──二〇〇四年七月
いつの日かビバの若者をカナダへ=──二〇〇四年九月
Ⅲ 嵐にもいかなる試練にも負けず(二〇〇四年一〇月~二〇〇七年六月)
18号台風が奪ったもの、もたらしたもの──二〇〇四年一〇月
常に必要なものは備えられて──二〇〇四年一二月
若者たちに学ぶ──二〇〇五年一月
新しい春は新しい働き手たちと──二〇〇五年五月
「若者自立塾ビバ」発足──二〇〇五年八月
ビバハウス家族会──二〇〇五年九月
「ビバ塾」の若者たちもみんな大切な「私の子ども」──二〇〇五年一一月
お誕生、お別れと感謝、就職の祝い──二〇〇五年一二月
春の息吹を呼ぶ三人の高校受験生──二〇〇六年三月
新たな就労への挑戦、輝いていた三人の働く姿──二〇〇六年五月
さらに広い世界で体験を──二〇〇六年八月
両親の離婚と一六歳の心の空洞──二〇〇六年九月
若者の跳躍台としてのビバハウス──二〇〇六年一〇月
母親との信頼関係の修復こそ基本~森下一先生に学ぶ──二〇〇七年一月
若者たちの成長の鍵は何か──二〇〇七年二月
若者たちの父母に支えられた七年間──二〇〇七年六月
第Ⅱ部〔対談〕若者たちの抱える困難と向き合って
Ⅰ とまどいと困惑の日々
生きる力を奪われていた聖子さん
閉じこもった健治くんに食事を運び続ける
芽生えた学習意欲
散歩に持参する傘は杖代わりだった
三度の食事作りに悪戦苦闘
百円でも安いお米を買うために
楽しい旅行が一変したのはなぜ?
入所には一週間の試験期間
Ⅱ 「皆で話し合って決める」を原則に
ロングホームルームで得た結論
「おはよう」の「お」が出せない……
椎茸園で雪まみれになって働く
解けなかった自殺願望のナゾ
もう一人の自殺願望が強い若者
カナダを訪れて考えさせられたこと
マスコミ報道で改めて知った深刻な現実
Ⅲ ビバからもっと広い世界へ
台風一八号で奪われた椎茸園
なぜ「若者自立塾」に取り組むことになったか
リスクはすべて民間に負わせる
ビバを支えてくれる家族会
真夜中の訴え、怖くて一人でいられない
カウンセリングの基本
二百キロの歩けない身体からの変身
心臓発作でわかった〝七〇歳の血管〟
なぜ人を怖がる若者が多いのか
仲間とつながることを教える北星余市高校の教育
ビバハウスを支えてくれる人々
あとがき