アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
十七歳は世界をひらく
高校教師となった著者が、自らの生い立ちを振り返り、終生をかけて国・県の教育行政と対峙しつつ、高校生の「自主活動」に寄り添い、育ててきた歴史を中間的に総括する。
『十七歳は世界をひらく』雑感 いまどき494ページの分厚い大作だ。 そして、正直、守隨さんの文章は難解なのだ。 時系列とたくさんある問題意識(興味関心)が、 素直に展開されるわけではなく、 あっちこっちに行き来する。ときにはワープさえする。 問いはたくさんあるけど、答えはほとんど語らない。 しかし、思いは、圧倒的に濃厚だ。 よくぞ、85年の歴史を一冊にまとめてくれたな、 が一番の読後感だ。 第1部は183ページ。生まれと育ち。 階級性の自覚とそこからの独立(自立)が綿密に綴られている。 長い。が、これなくして守隨吾朗は生まれないのだ。 その後の人生は、この第1部からの発展系だ。 第2部からは、メインテーマの高校生との日々。 負の面はいろいろあったとしても、輝ける黄金の日々だ。 第6章=「70年世代の登場」は、まさにわが事の世代であり、 夢中で語り合い、怒り、喜んだ日々の記録でもあり、 あのときのあの姿や葛藤の意味がいまわかることがある。 館高を追われてからの第8章以降のことは、 退職後の21世紀のとりくみもこの本で知ることが多かった。 先輩の今泉(成田)さんが、本文中でワープするところを、 フォローしてくれている「終章」はありがたかった。 「寄り添い職人=守隨吾朗論」は、するどい洞察と感心した。 お盆過ぎから読み始めて、この本に学んだことは、 「手をつなぎ、輪を広げよう 群馬の高校生」のサマーキャンプ(SC) のスローガンであり思想は、その後、どんなときにも、 自分にとっては地下水脈として流れる基盤のようなものを感じている。 横浜寿町の支援活動にとりくむ後輩が「人は思想で共鳴するんじゃない。生きざまを見て、信頼して仲間になるん だ」と語ったそうだが、人が信頼できる存在であることを何よりも確信できたの は、高校時代の仲間たちのなかであり、それに生涯寄り添ってくれている吾朗 さんの存在そのものなのだ。 鉄腕アトムが存在するはずの21世紀に生きていても、この国だけでなく、世界はだいじょうぶなのかと悶々とする時代だ。 それでも、希望は、連帯する人たちのなかにある。 そんなことを考えさせてもらった数日だった。 |
第一章 生まれと育ちの意味
第二章 育ち(1) いよいよ群馬・教職・館林へ
第三章 育ち(2) 大学を卒業し教員として群馬県へ
第四章 闘いの中で 教師集団と高校生たち
第五章 七〇年代を切り開く力は
第六章 七〇年世代の登場
第七章 地域の発展と高校生活動
第八章 不当配転に至るまで私は館林高校で何をしてきたか
第九章 太田工業高校時代
第十章 総括、四期の高校生活動とつながり
終章 お読みくださった皆様へ