アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
「在日」民族教育の夜明け
1945年10月~48年10月
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世界史に類例をみない在日朝鮮人の民族教育はいかにして創られたのか。 一九四五年秋、日本の敗戦による解放後、校舎もなく、教科書もなく、教員もいない中、米占領軍司令部による弾圧をはね返して列島全域に根を下ろした民族教育草創期のドラマを、その中心で活動した著者が描き出した、最初で最後の記録!
【第I部】(一九四五年一〇月~四七年七月)
在日本朝鮮人聯盟(朝連)文化部
民族文化講演会
帰国同胞のために!
教科書づくり
三・一独立運動記念祝賀大会
民族学校・教員速成講習会
副委員長の南朝鮮行き
なぜ中学校をつくるのか
挫折した朝鮮語講座
東京朝鮮中学校の開校
在日朝鮮人決起大会と朝連弾圧の罠
嵐にもまれる中学校運営
中学校引っ越し騒動
新校舎建設と最初の運動会
【第II部】(一九四七年八月~四八年一〇月)
布施辰治弁護士と岩手県宮古の委員長夫妻
朝連・江東支部の委員長になる
暴力団事件と支部委員長辞任
共産党への入党と民族学校廃止の策謀
在日本朝鮮文学会を設立する
のしかかる米軍政部の圧力
阪神民族教育大弾圧のてんまつ
私立学校の認可おりる
十三日ぶっ通しの「教育闘争報告」巡回講演
後楽園球場での六・一〇独立運動記念運動会
朝鮮文化学院と夜間学校
夜間工業学校の出発
共和国の建国と東京朝鮮高校の開設
【資料】
★一九四七年初頭と四九年五月における民族学校の学校数・生徒数・教員数
あとがき