アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
北の反戦地主・川瀬氾二の生涯
日本一広大な自衛隊・矢臼別演習場。
そのど真ん中で、ただ一人、反戦・平和の旗を掲げ続けた人がいた!
今から約60年まえ、国の政策で北海道東部の原野(根釧原野)に入植、不毛の地を買いたくしたところへ、自衛隊が演習場を設置する。
誰もが土地の買収に応じたのに、ただ一人動かず、馬の放牧を続けながら演習場のど真ん中に根を下ろして生涯を送った(今年4月、82歳で逝去)農民・川瀬氾二さんの歩みをたど
Ⅰ 北海道に渡るまで
陸軍の技能者養成所に
敗戦直前、軍隊に入隊
玉音放送
五年間ぶらぶらと
北海道行きを決意
Ⅱ 原野への入植・開拓
「不毛の地」
「これは人間のやる仕事でねえなぁ」
普実子さんとの結婚
冷戦の暗い影
初めての子を死産
部落会を結成、小学校もできる
徐々に酪農も始まる
Ⅲ 演習場の設置と土地買収
別海村議会での「自衛隊誘致」決議
六〇年安保後、演習場設置が加速
買収工作はじまる
気付いたら二戸だけに
頼まれて牛の放牧を始める
防衛施設庁の買収額提示で動揺したが
馬で生きていくことを決心
Ⅳ 憲法九条と出会って
「赤い湖」全日農西春別支部の結成
娘・三九子さんの誕生
平和碑の建設と第一回平和盆踊り大会
憲法第九条との初対面
恵庭事件を知る
「反基地」を闘った百里に立ち寄る
沖縄の阿波根昌鴻さんとも出会う
「三矢研究」暴露・恵庭事件裁判・長沼ナイキ訴訟での違憲判決
R30ロケット実射訓練の衝撃
揺さぶられた労働者と婦人たち
川瀬さん、農民組合書記長になる
腕を組んだ農民組合と教職員組合
ミルクロードのたたかい
演習場内を通る「団結道路」ができる
馬を「完全野放し」に
長沼一審判決とテレビ番組出演
「ここにいたいのです」
Ⅴ 退去を迫る権力との攻防
メニエール病に
長沼ナイキ訴訟での判決反転
「馬の放牧やめよ」と自衛隊から内容証明郵便
ついに杉野さんが離農
自衛隊側についた農業委員会
「家を建てる」たたかい
日米防衛協力の指針(ガイドライン)制定
矢臼別でも初の日米共同演習
変化する自衛隊と新反戦地主の登場
「囲い込み」事件
不安を払拭した弁護士による学習会
バラ線をめぐる攻防
大反撃に出る
「憲法に守られた!」
Ⅵ 沖縄の海兵隊もやってくる中で
浦夫妻の矢臼別移住と冷戦終結・湾岸戦争
D型ハウスの屋根に「自衛隊は憲法違反」
日米「安保再定義」の中で
米軍用地特措法の改正
本土に移ってきた在沖海兵隊の実弾砲撃訓練
普実子さんの死
「普実子の碑」を建てる
海兵隊の訓練移転で様変わりする演習場
「演習場栄えて、民亡ぶ」
マイペース酪農
D型ハウスの屋根に憲法前文・9条・12条を書く
「対テロ戦争」始まる
英文看板が何者かに持ち去られる
矢臼別に出現した謎の「タコクラゲ弾」(白リン弾)
「世界の中の日米同盟」へ
監視カメラの設置と立入禁止の看板
イラク派兵差し止め訴訟の原告に
Ⅶ 演習場の中に温泉を掘ろう
最後の聞き取りに
この土地を「平和の砦」として守っていくために
温泉地を中心とした「平和公園」構想
谷中村の残留民に重ねた思い
誰にも動かせない事実
川瀬氾二=略年譜
終わりに