アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
私たち、「何じん」ですか?
中国残留孤児たちはいま・・
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中国では「小日本鬼子」と迫害され、やっと帰ってきた祖国では「中国人、帰れ」と差別される。幾重にも疎外され苦難を強いられ続ける”中国残留日本人孤児”たち。ながい国賠訴訟の末、日本政府は支援策を作ったが・・・。高齢化する受難の人たちの「現在」を豊富な写真と文章で伝える!
〔第1場A〕祖母と孫の会話
〔第1場B〕孤児たちの体験談/逃避行
〔第2場A〕祖母の話/中国人にもらわれて
〔第2場B〕孤児たちの体験談/「小日本鬼子」と言われて
〔第3場A〕祖母の話/三六年後の訪日調査
〔第3場B〕孤児たちの体験談/帰国までの道のり
〔第4場A〕祖母の話/帰国後の苦難 34
〔第4場B〕孤児たちの体験談/日本で受けた差別
〔第5場〕 明日に向かって
Ⅱ 残留孤児たちが歩いてきた道
母の顔を覚えていない …… 松倉秀子さん
「集団自決」で母と妹が殺された…… 黒川猛夫さん
中国で、日本で、何度もほかされた…… 大中はつゑさん
雪の朝、母は冷たくなっていた…… 高橋正弘さん
日本人として見られたい…… 石原秀子さん
「生きたら使ってください」と養父母に…… 下平朋好さん
文革期、妊娠中に監禁された…… 有川雅子さん
再会した母は何度も謝った…… 澤 政道さん
母と3人の姉は死亡、兄弟で残留孤児に…… 昌谷範茂さん
兄と信じる人がいる…… 柳瀬啓子さん
「必ず日本に帰れ」父の遺言を胸に…… 小松一安さん
中国では医師だった…… 田中弘子さん
体を張って守ってくれた養父母を誇りに思う…… 林 隆さん
中国でも差別されたが、日本はもっとひどい…… 黒木永昌さん
必死で覚えた日本語で帰国者の世話を…… 奥山イク子さん
もし働けなくなったらと、不安が募る…… 植田恒陽さん
阪神大震災で被災、避難先もわからず…… 佐藤初美さん
親兄弟が見つかるまで養父母の名で生きる…… 王 祖君さん
身元が判明しても帰国できず、すべてを失った…… 本信 一さん
長男の事故原因、知りたかった…… 斎藤郁子さん
厳寒の中国と別世界、花咲く祖国に涙した…… 川元幸枝さん
テレビに映った手首のあざを父が見つけた…… 箟 和雄さん
日本語は片言、孫と言葉が通じない寂しさ…… 出上二三子さん
身を削って働き続け、脳出血で倒れた…… 山田春木さん
文革でかばってくれた養母が死んだ…… 香川雅子さん
引き裂かれた姉妹…… 衣川しげのさん、衣川正子さん
兵庫訴訟で、残留孤児65人の先頭に立って…… 初田三雄さん
戦後62年、日本人と認められなかった…… 趙 印甲さん
Ⅲ 八人の家族を満州で失って──宮島満子さんの手記
一家一一人の賑やかな暮らし
ソ連機の銃撃の下を地獄の逃避行
ソ連兵に連行された父の死
兄、妹に続いて、母までもが
姉も弟も中国人にもらわれて行った
兄に会いたい。養父の家を幾度も逃げ出して
もう日本には帰れない。中国人にならなければ
「日本人」としての苦しみ
二人の兄が生きて日本に帰っていた
三七年ぶりの故郷、その空白は大きく
永住帰国の夢を兄に反対されて
ホテルの住み込みで開けた帰国への道
家族五人、ゼロからの出発
「中国に帰って死ぬ」という夫に付き添って
六〇歳の夢、夜間中学・高校で学ぶ
兵庫の原告団勝訴、生まれて初めての嬉しい誕生日
Ⅳ 国賠訴訟から政府の支援策まで
なぜ、祖国を訴えたのか
責任を認めぬ国と大阪地裁判決
神戸地裁で勝訴「やっと日本人と認められた」
国の「帰国妨害」「自立支援義務違反」を認めた神戸地裁判決
孤児らの叫びを無視、国は控訴した
初田三雄さんが安倍首相へあてた手紙
支援策を巡る国との綱引き
支援策受け入れ、兵庫原告団は「苦渋」
ある残留孤児2世からのメール
「気づくのが遅くなって申し訳ない」という福田首相の言葉
無念の訴訟取り下げ
支援策の問題点
配置が遅れる「支援・相談員」
市民に広がる支援の輪
元満州開拓団員との交流
中国残留孤児訴訟・神戸地裁判決の要旨
中国残留孤児関連年表
あとがき