アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
「いのちの授業」をもう一度
がんと向き合い、いのちを語り続けて
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NHKの「わくわく授業」で紹介され、大反響
がんの手術を終え、2年ぶりに復帰した保健室に飛び交うのは「バカ」「死ね!」「ぶっ殺すぞ!」の罵声。
その衝撃から一大決心!
自らのがん体験を〝武器〟に子どもたちに語り続けた「いのちの授業」
哀しいけれど笑いがいっぱい!
がんと向き合いつつ、受験期・思春期の子どもらの心の揺れを、独特のユーモアに包み込んで描いた山ちゃんセンセイの保健室日記!
山田泉公式ブログ
■転入生がやってきた
■「用もないのに保健室へ行くな」なんて言わんでおくれ
第Ⅱ章 山ちゃん流「生と性」の学習
■夏の少女の話《1》出血が止まらない
■夏の少女の話《2》もう、男には懲りたという涼ちゃん
■「性教育しちゃいけませんよ」って何かヘン!
第Ⅲ章 がんの宣告を受けて
■どーしてあたしが、がんなの?
★〔コラム〕永六輔さんとの出会い
第Ⅳ章 「いのちの授業」から人権学習へ
■教頭先生とチーム組み「いのちの授業」
■ハンセン病から学ぶ《1》なぜ今もこんな差別が? 疑問がいっぱい
■ハンセン病から学ぶ《2》「わくわく授業」のテレビクルーがやってきた
第Ⅴ章 新しい学校は不安がいっぱい
■〝サル軍団〟を変えた「こころの中を書く」授業
■医者の卵たちに「よい医者、ワルイ医者」を講義
第Ⅵ章 いのちの重さ ――生と死のはざまで
■いのちのバトンタッチ――恩師との別れ
■働きづめの父が倒れた!
■心細くて泣いた、乳がんの再発
◆あとがきに代えて
■さようなら、退職します!
■みんなが泣いた最後の授業
山田泉(やまだいずみ)
大分県豊後高田市生まれ。1979年から養護教諭の仕事に就き、県内の7校の小・中学校に勤めた。2000年2月、乳がんを発症し休職。
乳房の温存手術後、放射線治療、ホルモン療法を受けた。
2002年4月に復職し、自らの体験をもとに「いのちの授業」に取り組んでいたが、2005年11月に再発。再び手術を受け、休職。2006年10月に復職したが、体力の限界を感じ、2007年3月退職。
2008年11月21日(金)午前9時12分、逝去。