アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
写真で伝える東京大空襲の傷あと・生き証人
ある人は孤児に、ある人は手を、足を失い、またある人は聴力を失い心と体に癒されぬ傷を抱えたまま戦後60余年を生きてきた。「軍人・軍属には手厚い補償があるのに、なぜ民間の被害者にはそれがないのか」――東京大空襲の被害者たちが国に補償と謝罪をもとめ、ついに裁判に立ちあがった!
東京都戦災消失地図
Ⅰ 今も残る空襲の痕跡
生き続ける浅草寺・飛木稲荷の焼けた大イチョウ
焼かれたままの両国橋税務署あと
区民の要望で保存された江戸川区文書庫
美しい顔を焦がされた重願寺の無縁仏
弾痕くっきりの石碑が並ぶ木母寺
貴重な空襲遺跡の日立航空機立川工場変電所跡
空襲で腕をもがれた青面金剛庚申像
背面をえぐられた源正寺の墓石
熱線で変形した「ガラスのうさぎ」たち
Ⅱ 爆撃と炎に傷ついた人々の痛み
右耳を削られた戸田成正さん
ケロイドでいじめにあった須藤祀久さん
聴力を奪われた石山あい子さん
失った手の先に感覚が……小暮たけ子さん
くるぶし貫通で3回も手術した馬場キクエさん
指3本を複雑骨折した平田健二さん
木片がももに突き刺さった小林弘司さん
家族4人に続き、右手を失った豊村美恵子さん
Ⅲ 心に残る肉親への思い
大横川のいかだの上で一夜を明かした市川妙子さん
写真で50年ぶりに家族と「再会」した飯田吉利さん
大家族から戦災孤児になった伊藤光世さん
母の亡骸に残された印鑑 ──松本重子さん・菊地良子さん
陸士在学中、一家8人が死亡 ──田淵武正さん
父の手帳だけが形見の丸田祐三さん
孫・子に伝える個人誌13冊 ──辻 博也さん
川の中で母と3人の肉親を失った斎藤キヨさん
60年ぶりに受け取った小学校卒業証書 ──城森 満さん
裁判を長年待ち望んでいた清岡美知子さん
猿江恩賜公園で一夜を明かした鷲頭一男さん
焼け跡に残った黒光りの大仏様 ──中村利子さん
黒焦げの死体の下で助かった濱田春雄さん
母と1歳の妹を失った西脇みのるさん
厩橋近くのゴミ捨て場に逃げた小山正江さん
2回目の被災で姉に焼夷弾が直撃した永井欽一さん
浅草国際劇場裏の防空壕で命拾い ──野上秀雄さん
女性の悲鳴が耳から離れない小島喜代松さん
集団疎開から帰京直後に大空襲 ──砂田寿子さん
海軍航空隊に勤務中一家全滅した酒井明四郎さん
全国空襲都市一覧
「みすてないで」と訴え続ける杉山千佐子さん(名古屋)
大腿部切断に断端袋1枚だけ ──君塚節子さん(大阪)
空襲パイロットを探し当てた諸星廣夫さん(甲府)
Ⅳ「生かされたもの」の責任を背負って
空襲の本当の姿を伝えるために ──堀切正二郎さん
兄、姉、妹、そして母も ──築山 実さん
母の思い出 ──中村俊子さんと4人のきょうだい
慰霊碑建立の国会請願 ──滝 保清さん
空襲火災から戸籍簿を守った藤田 昇さん
「根津山小さな追悼会」の小田光野さん
犠牲になった学友の慰霊碑を ──永井秀一さん
3回の空襲を逃げ回った全盲の加瀬三郎さん
墨田電話局・富沢きみさんの追悼碑を建てた近藤久美子さん
東京大空襲を語り続ける西村信友さん
リアルな絵で惨劇を伝える画家の狩野光男さん
同級生二人、生かされた者の責任 ──内山庄栄さん、小林健男さん
仮埋葬地図・復元図を作成した大竹正春さん、斎藤亘弘さん
若者たちの支援と自主的活動 ──P魂s
海老名香葉子さんが呼びかけた上野の追悼集会
話すことが務め ──85歳の橋本代志子さん
何とかしなければ ──戦災孤児の金田茉莉さん
Ⅴ ついに国を訴える東京の被害者たち
なぜ今、東京大空襲の裁判か ──中山武敏弁護団長に聞く
戦争被害の実情を問う最後の機会
軍人・軍族だけ保障して、民間被災者になぜ保障がないのか
戦後、被害者を切り捨ててきた国の責任
Ⅵ 東京空襲につながった重慶大爆撃
用語解説
主な参考資料
あとがき