アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
だまされることの責任
1945年、日本敗戦。日本人の多くは「だまされた」と言った。そして60年後の今、再び「だまされた」と人々は言うのか…。
敗戦の翌年、映画監督の伊丹万作は「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」と言い、「あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだね……『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」と書いた。この言葉を受け、今日の状況について熱く語り合う!
戦争責任者の問題 伊丹万作
Ⅰ〝国民的英雄〟中坊公平が果たした役割
「中坊幻想」から目が覚めた理由
「統治主体意識」を説く欺瞞
朝日新聞の「民主党」化
「批判」を失ったジャーナリズム
上品は下品に絶対勝てない
「ナベツネ」はなぜ手強いか
Ⅱ〝タカ派〟と〝宗教〟の癒着が腐食させる民主主義
なぜ少数意見・異論が排除されるようになったのか
自公連立がもたらしたもの
「居直りナショナリズム」が小泉人気を支える
「自己」がない世襲議員
クリーンなタカとダーティなハト
田中派政治最後の継承者・野中広務
Ⅲ 戦前から戦後へ連綿と続く「無責任体制」
石原完爾─辻政信無責任ライン
「国家」を背負う瀬島龍三
「戦前と戦後は違うんだ」神話
病的に冷酷な日本社会
Ⅳ「自己」を溶かす日本人
スターリン感謝運動
リクルートの「社畜」適性検査
「自己」を溶かす日本人
Ⅴ 伊丹万作「戦争責任者の問題」と六〇年後の日本
日本人にとっての「自己責任」
「戦争責任者の問題」の危険性
おわりに