アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
日本軍毒ガス作戦の村
中国河北省北坦村で起こったこと
〝焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす〟 三光作戦の日本軍、中国の民衆は長大な地下道を構築してゲリラ戦を戦った!
日中戦争下、火力に優る日本軍に対抗するため、華北平原の村々は地下道を掘ってゲリラ戦を展開した。日本軍は地下道に退避する中国軍民を〝せん滅〟するため、毒ガス兵器を使用した!
約千人の犠牲者を出した「北坦事件」の全貌を、15年の歳月をかけて、生存者への聞き取り調査、日本軍の元兵士の証言を積み重ねて明らかにした、執念の労作!
第I部 北坦事件との出会い
北坦村への旅
毒ガス戦犠牲者の碑
毒ガス戦の生き残り、李徳祥さんの証言
裏付け調査
日本側の資料
中国側の資料
毒ガス使用の決定的証拠
日本軍大隊長の手記を発見
手記の執筆者に直接会って話を聞く
戦史叢書『北支の治安戦(2)』編纂官に話を聞く
第II部 北坦事件の背景
近代日本の膨張主義と中国侵略戦争
日本軍の毒ガス研究
日本軍の毒ガス作戦
日中戦争と北坦事件
第III部 無差別虐殺の日
臨戦態勢──事件前日(一九四二年五月二六日)
武器を身近におき、靴をはいたまま寝た
毒ガス対策のニンニク持参で戦闘待機、弾は一一個だけ
砲撃・銃撃戦──当日午前(五月二七日)
日本軍が今、沙河を渡っている
日本兵は「ヤー! ヤー!」と、ものすごい気合いで突撃してきた
弾丸一個で、必ず一人を殺せ
日本軍の銃撃で、庭の木に三つ穴があいた
先頭の日本兵が日の丸を担いでいた
死んでも侵略者と戦う覚悟
銃砲撃の前線に、食糧をとどける
南坦で日の丸をはっきり見た
東湖村からかけつけ、区小隊・民兵一七人で守備
毒ガス散布──当日午後(五月二七日)
ガス中毒でつかまった後、抗日幹部らと脱走する
李洛敏家の集団虐殺を、兄が目撃した
八路軍の捕虜に仕立てあげられたため、井戸端の虐殺を免れる
中国人を殺すと同時に、井戸のなかに蹴り入れた
ロープで縛られたまま、日本兵をふり切って逃げる
「漢奸」の密告で強姦された婦女救国会主任
死体の上を這って逃げた
毒ガス中毒のクシャミとセキで、地下道のなかは騒然
地下道で毒ガスを嗅ぎ、姉、妹、弟の計四人が殺される
一族一八人のうち一〇人を殺される
毒ガスはトウガラシと硫黄を混ぜた臭い
ニンニクと石けんで毒ガスを防いだ
女性たちは、強姦された
一〇〇人の民衆を連れて、東へ逃げた
北坦の銃声や叫び声を、東湖村で聞いた
二発撃たれたが、走って逃げのびた
地下道の入口は、毒ガスを放った後にフトンでふさがれた
神様をまつった家に避難して、助かる
地上にいた東城村の抗日幹部は、すべて捕まった
直後の惨状──二日目午後~(五月二八日)
惨! 惨! 惨!
地下道から三〇~四〇人の死体を引き出した
赤ん坊が母親の乳を吸いながら、母子ともに毒ガス中毒死していた
六人の子どもの死体を地下道から引き出した
馮香雲と王大恒の井戸では、一〇〇人くらいの死体があった
強姦されたらしい女性が、腹を上下に切り裂かれ、内臓が流れ出ていた
死者数は、事件直後の調査で八二〇人
李洛敏の屋敷では、数十人が殺されていた
水をくれ、水をくれ
家族五人のうち四人を殺され、一夜にして天涯孤独に
村は〝死の世界〟だった
妊婦がお腹を裂かれ、胎児が出ていた
地下道のなかで、人に踏まれて死んだ子どもも多い
日本軍将兵の証言
第一六三連隊第一中隊長(中尉)の証言
第一六三連隊第四中隊兵士(一等兵)の証言
第一一〇連隊第一一中隊小隊長(少尉)の証言
第一六三連隊第一大隊本部付兵士(二等兵)の証言
第IV部 事件後─抗日戦争の勝利
強制連行された人々
日中戦争と中国人強制連行
王俊傑さんの証言
郭潤清さんの証言
事件後の北坦村
青紗帳闘争の開始、一年後には形勢逆転
頭を腰にぶら下げて、抗日活動
トーチカの跳ね橋を焼き払う
三人の漢奸を村で処刑した
一人二役、昼は日本軍、夜は八路軍の警備
「第一七団、銃一五〇挺」の拷問
拷問と漢奸の通報、間一髪で命びろい
李親顧トーチカの「大ヒゲ」
日本軍トーチカで同化教育
八路軍に入隊、毛沢東思想で難局のりきる
八路軍に入り、日本降伏後は国民党軍と戦った
婦女救国会で八路軍を支える
日本人への言葉──あとがきにかえて