アジア新風土記(89)マラッカ - 2024.11.15
追悼 小山内美江子先生
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小山内美江子先生が亡くなられた。
朝日新聞(5月11日付)の訃報記事の見出しはこうだった。
《小山内美江子さん死去 94歳 脚本家「金八先生」》
他のメディアでも例外なく「金八先生」の4文字が見出しにあった。
TBSのテレビドラマは1979年(今から45年前!)10月末に始まったが、武田鉄矢さん主役の「金八先生」シリーズは今も人々の記憶に焼き付いていることがわかる。
であるなら、同シリーズを高文研でノベライズした『3年B組金八先生・十五歳の愛』以下24冊の本について、その出版のいきさつを記しておくことも一つの歴史的挿話になるかと思い、ここに小文を残すことにします。
79年の10月初め、突然、小山内先生から高文研に電話があった。近くTBS 系列で新しく連続ドラマの放送を始めるが、その第6回目のシナリオに高文研の本の一部を参考にさせてもらったとして、その了承を求める電話だった。
その本というのは、その年の7月に発売した『愛と性の十字路』だった。『月刊・考える高校生』の取材記事をベースに私がまとめたものである。
高文研(72年創業で83年までの社名は、高校生文化研究会)はその教育的・社会的な立場を明らかにしている出版社である。
キワモノ的になるのでは困ると思い、出来上がっている分のシナリオを見せていただけませんか、と頼んだ。
届いたシナリオを一読して、このドラマが今日の教育の現実に正面から切り込んだものだと分かった。
ドラマの始まりは、中学3年生の少女と少年が恋愛関係に入り、期せずして少女は妊娠、もはや中絶ができないところにまで進行してしまったという設定である。
世間の眼で見れば、これは明らかにスキャンダルであり、学校的な眼で見れば、性的非行である。
だがこれを、金八先生は、二人の関係は「純愛」であり、妊娠はその「純愛」の性に関する認識の欠如から生じた予期せぬ結果であった、と見る。
ここに、このシナリオの作者、小山内先生の人間観が躍動していた。
それにしてもこれは、学校として見過ごすことのできない事態である。金八先生は、悩みに悩む。
そしてたどり着いたのが、3学年全クラスをあげて、性についての「公開授業」を決行しましょう、という提案であった。
その「公開授業」の教材として、『愛と性の十字路』の中の1章――精子と卵子の出会いから始まる生命誕生の部分を使うことを了承してほしい、というのが小山内先生からの依頼だったのである。
高文研社内で話し合ったすえ、応諾を返事した。
しかし、金八先生によるこの解決策が、中学教育の現場からみて、果たして望ましいものであるかどうか、私たちには一抹の不安が残る。
それで、中学での生活指導のベテランである先生に、事情を説明して尋ねてみた。結果は、それしかないでしょうね、という回答だった。
そこでいよいよ本づくりに入るが、当時(今も?)テレビドラマをノベライズした本はいくらも出ていたけれど、そのほとんどはドラマの終了とともに書店の店頭から消えていくのが宿命だった。
そういう本づくりはしたくない。それで、漫画家で絵本作家でもある勝又進さんと相談して、カバー絵のほか本文中の挿絵を描いてもらった。
(カバー絵は7冊目まで、以降は本文中もテレビ場面のスチール写真を使った。)
また本の巻頭には、物語のテーマと関連した数行の「短詩」のようなもの置いた(筆者は私)。
第1集『十五歳の愛』の「短詩」はこうである。
「これは、現代のメルヘンである。/しかし、現実に、いつでも、どこでも起こり得る話である。/このドラマの中で、作者が考えつづけたのは次の三つである。/人が生きるとは、どういうことか。/いのちとは、どういうものか。/愛するとは、どういうことか。/したがって、これらがこの物語の主題である。」
小山内先生の教育現実へのチャレンジはその後も続き、中学生たちの反乱「校内暴力」で社会が騒然となったときには、かつて東京下町で「どぶ川学級」の実践を主導した中学教師・関 誠先生(のち『たった一度の中学時代だから』を高文研から刊行)を含む4名の先生に高文研に来てもらい、そこで小山内先生とディレクターが教育現場の生々しい話を取材した。
テレビの「金八先生」シリーズは、爆発的な人気を博した。武田鉄矢さん作詞作曲の主題歌も中学の卒業式のテーマソングとなった。
高文研の本も、番組の最後に「視聴者プレゼント」で告知をしてもらったおかげで、大きな反響を呼び、とくに第3集までは高文研随一のベストセラーとなった。
最後に、記念のため、シリーズ24冊の書名を挙げておきたい。
「3年B組金八先生」のツノ書があるため、どれも6字以内に収めた。
- 十五歳の愛
- いのちの春
- 飛べよ、鳩
- 風の吹く道
- 旅立ちの朝
- 青春の坂道
- 水色の明日
- 愛のポケット
- さびしい天使
- 友よ、泣くな
- 朝焼けの合唱
- 僕は逃げない
- 春を呼ぶ声
- 道は遠くとも
- 壊れた学級
- 哀しみの仮面
- 冬空に舞う鳥
- 風光る朝に
- 風にゆらぐ炎
- 星の落ちた夜
- 砕け散る秘密
- 荒野に立つ虹
- 光と影の祭り
- 友達のきずな
『十五歳の愛』のあとがきをお読みください。
小山内先生がドラマ「3年B組金八先生」生まれた経緯が書かれています。
あとがき 「君は、実にまれにしか生まれなかった存在なのだよ」 この言葉は、われながら名セリフだったと、今でも思っています。 1979年秋、TBS系で放送されたテレビドラマ「3年B組・金八先生」の中でも、この小説の中でも、このセリフが登場しますが、実は、私の息子が中学三年のとき、母親として息子に話してやったときの会話の一部です。 ちょうどその頃、中学生の自殺が毎日のように新聞を賑わし、息子は満十五歳の誕生日を迎えていました。昔で言うなら、十五歳は人生の一つの節目です。 現在でも、義務教育を終えるという意味で一つの節目だと思います。折りにふれ、親が語ってやる親の歴史も、大半は理解できる年齢のはずです。 親の最大の悲しみは、わが子を事故で、あるいは病いで失うことでしょう。生命を尊んでほしい、この願いはそれまでにもいろいろなかたちで話してはきましたが、それまでのやや抽象的なものとかたちをかえ、このときの話は、生命の起源から説き起こすというようなものになりました。 彼はすでに精通があり、自己放出の経験もあると思っていましたので、私なりの知識で、それがどう生命の誕生に結びつくのかを話しました。 主目的は、神秘としか言いようのない過程をたどり、実にまれにしか生まれ得なかったその生命を大切にしてほしいということだったのですが、彼もまた、そのような過程を通して新しい生命を生み出す個体であることを認識してくれるにちがいないと考えていました。 ドラマが放送される時点において、中学生の性教育というように紹介されたとき、私は、愛の問題です、とだいぶムキになって訂正しました。 今でもそう思っていますが、思春期の子供に対し、愛の問題なくして性は語ってはいけないのではないでしょうか。 このドラマの構想がだいぶ出来上がっていたとき、集めた資料の中から、一冊の本と出会いました。 高文研の『愛と性の十字路』です。書店へ注文したときは、多少気恥ずかしい思いをした題名でしたが、読み始めて、その内容の誠実さに驚き、またそのなかで、私が「まれにしか生まれなかった」と息子に語ってやった、問題の生命誕生の部分にぶつかったのです。 それはまさに、私の母としての思いに科学的な裏付けを与えていただいたようなものでした。力を得た私は、すぐに高文研に、参考資料として使用させていただきたいと、電話でお願いしました。これが、高文研と私との出会いであり、このとき快諾をいただいたことが、こんど『十五歳の愛』として、この本が高文研から出版されるということにつながりました。 高文研ーー高校生文化研究会は、名まえのとおり高校生を主対象とした出版社なのでしょう。参考資料として、ほかにも十数冊の本を読ませていただきましたが、一貫してそのどの本からも、あるいはほとばしるように、あるいはあふれ出るように感じられるのは、青春のまっただなかにいる、悩み深いこれらの世代に対する編集者の熱い思いです。 だから私は、ドラマ「十五歳の母」の脚本を小説化して出版したいというご相談を高文研から受けたとき、ためらいもなくお返事していましたし、高文研の本にこの『十五歳の愛』が加えられることを大きな歓びとしています。 なお、高校生以上の方やお母さま方には、先の『愛と性の十字路』をあわせてお読みくださることをおすすめします。 親は、そして親となる者は、まず己れの生命の起源を知り、それがどう受けつがれていくかを、キチッと知らなければなりません。 そして、それをドラマチックに語ってやれば、愛と性の問題は少しも恐れることはないのです。恐れるどころか、子供がやがて成長し、強く生き抜いていくためには、語ってやらなければならないことだと思っています。 この小説が一つのきっかけとなって、若い人たちが愛の世界のひろがりについて考え、また学校では、人間性の教育としての愛と性の教育がすすめられることにでもなれば、作者としてこれほどうれしいことはありません。 1980年1月 小山内美江子 |