アジア新風土記(90)マラッカ王国と琉球王国 - 2024.12.02
日本外交と外務省
問われなかった“聖域”
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これまで誰も書かなかった日本政治の〝聖域〝に気鋭の研究者が真正面から切り込んだ問題作
公金横領など一連の外務省不祥事を生んだ要因は、はたして規律の緩みやモラルの欠如だけなのか?
真の要因は、国連安保理の常任理事国化を果たし、世界の〝大国〝となることをめざした九〇年代以降の日本の外交政策そのものにあるのではないか?
マスコミも学者も目をふさいできたこの国の外交と、それをになう外務省のあり方に初めてメスを入れ、その実態を明らかにする
Ⅰ 行革で問われなかった外務省
省庁再編で不問にされた外務省
情報公開の例外とされた外交と外務省の秘密主義
秘密保持のための規則もまた“秘密”
Ⅱ 一九九三年の機構改革──“スーパー局”の誕生
瀬島龍三と外交強化懇談会
“スーパー局”と国連重視
総政局と外務省人事
Ⅲ 国連と安保条約──国連の“二つの顔”
軍縮と戦争違法化の試み
軍縮による平和から軍事力による平和へ
集団的自衛権と軍事同盟
国連を根拠にした日米安保条約
PKOの提唱と第三世界の台頭
国連の“二つの顔”
Ⅳ 瀬島懇談会の答申と実際の改編の違い
答申にはなかった国連重視
答申に「軍縮」が盛り込まれた背景
急がれた瀬島懇談会の審議
PKO協力法成立後をにらんだ答申
Ⅴ 「大国中心の平和」の復活と安保理常任化
軍事的国連の復活
常任理事国への願望
小和田国連大使就任までの七ヵ月の空白の謎
細川内閣の誕生と外務省
機密費横領の背景
Ⅵ 「安保再定義」と、復活した「国連」
冷戦終焉後の安保の理由づけとして
乱発される「国連」
「国連という着物を着た二国間同盟」
Ⅶ 外交を報じなかった報道──一九九八年のイラク爆撃をめぐって
湾岸戦争後の最大の危機
日本は安保理理事国として何をしたか
外務官僚にあしらわれる報道
「日本もイラク爆撃の権限がある」
誰が問題の当事者か
Ⅷ 日米安保路線を積極容認した行革会議
外交と外務省を問わなかった行革会議
行革の対象となることを拒否した外務省
瀬島懇談会路線の継承
国際政治学者は何をしたのか
Ⅸ 不祥事発覚後の外務省改革
瀬島懇談会を引き継いだ外務省改革会議
政策も機密費問題も不問にしての外務省の信頼回復
ズレていった論点
時計の針を戻した「一〇の改革」
「変える会」での国際政治学者の役割
またも瀬島懇談会の路線を踏襲した「変える会」
Ⅹ“法の二重基準”と日本外交の“論理”
憲法の統制をすり抜けた外務省
法の二重基準を確立した最高裁
外務官僚出身裁判官の人権感覚
二重適用される国際法
小田滋・国際司法裁判所判事の二重基準
外務省の第一の任務は「日本国の安全保障」──新外務省設置法
法の二重基準から没基準へ
XI 岡崎勝男と大野勝巳──日本外交から消された国連大使
池田内閣が掲げ直した「国連中心主義」
日本が核兵器禁止に賛成した唯一のケース
外務官僚の記憶力
大野勝巳の岡崎勝男批判
政治家の外交と官僚の外交
●日本の外交=略年表
あとがき