翁長知事の「遺言」 梅田正己(高文研前代表)


 




8月8日、翁長沖縄県知事が亡くなった。
副知事から「意識が混濁しはじめた」という発表があったあと、
肝臓に転移したというニュースを聞いてからすぐのことだった。

だれもが虚を突かれ、言葉を失った。

しかし、採るべき道は一つしかない。
知事の遺志を継ぐことである。



そのことを確かめるためにも、7月27日、
前知事による「埋め立て承認」の撤回を
表明したさいの記者会見の一部を紹介しておきたい。



このあとわずか12日後に息を引き取られたことを思うと、
このときの病状、体調がどの程度だったかは、およそ想像がつく。

しかし知事は、撤回表明の声明文を発表した後、自らすすんで
記者団の質問にこたえ、予定時間を10分もオーバーして、
その熱い思いを語ったのだった。




知事の会見全文は、琉球新報の紙面で、全ページの8割がたを占める。
段数にして8段、そのうちの上部2段が発表文であり、
残り6段が記者団との質疑応答である。



記事によると、初めのうちは知事は何度も水に手を伸ばしたというが、
最後の方はまさにとうとうと、思いのたけを述べたように読める。


その後半の部分から、一部を抜き出してここに引用したい。



                  *

――(記者の質問)撤回に踏み切る理由として、
再三にわたる工事停止に応じていないことを挙げている。
傍若無人だという表現もあった。
国が、県のこうした行政指導を顧みることなく進めていることに、
国にどんな狙い、思惑があると考えているか。



「何が何でも沖縄に新辺野古基地を造る、この固い、固いというと
なんとなく意思決定としては言葉遣いがいい感じがしますが、
私からすると、とんでもない固い決意でですね、
沖縄に新辺野古基地を造るという思いがあると思っている。


いろいろと土砂を投げ入れようとしたり、あるいは4メートルの壁を造って
歩行者道路を縮めたり、あるいは直接新辺野古ではない場合もこの重機などを
(引用者注:自衛隊の大型ヘリを使って高江のヘリパッド建設地に向け)
住民の上、村民の上を運んでいく、
私はこういうことを政府がやることについて、日本国民などが全く
違和感のない中で『沖縄に造るのは当たり前だ』というようなものが
あるのではないかということで、
大変、私、個人的には憤りをもって見ている。



「(引用者注:米朝首脳会談が実現されるという)ああいう大胆な動きの中で、
米韓合同演習を中止し、北朝鮮もどういう施設か分かりませんが爆破して、
一定程度その気持ちに応える。
中国は中国で、ロシアはロシアで、その後ろからこの北東アジアの平和に対して、
行く末に対して、しっかりと見定めている中において、
おかしくないでしょうかね、皆さん、
20年以上も前に合意した新辺野古基地、
あのときの抑止力というのは北朝鮮であり、中国なんですよね。」




「安倍総理は戦後レジームからの脱却という言葉をよく使っていましたが、
最近使わなくなりました。日本を取り戻す、とも言っていましたけれども、
その中に沖縄が入っているのかということにも、答えていただけませんでした。


いちばん日本にとって大切な北東アジアの政治情勢、
国際情勢に手をこまねいて大切な拉致問題に関しても
他人任せというのが今の状況だ。」



「こういう状況の中であの美しい辺野古の海を埋め立てていく。
もう理由がないんですよ、私からすると。

ワシントンDCに行ったときにペリー長官ほかにお会いしましたが、
たいがいの方が言われていたのが北朝鮮だ。
自分たちは沖縄でなくともいいと言ったが、
日本政府が沖縄でなければならないと言ったというんですね。



わたしたちが理由を問うていくと、お金はどっちが出すかということで、
連邦下院、上院議員30人ずつお会いしましたけども、お金は誰が払うかなんですよ。
いや1兆円ぐらいかかるが、日本政府が払いますよと。
だったら日本の国内問題でいいんじゃないかというような形でやっている。」


「アジアのダイナミズムを取り入れ、アジアが沖縄を離さない。
沖縄はアジアの地政学的な意味も含めて、経済ということではたいへん
大きな立場になってきている。
こういったことなどを平和的利用、アジアの中の沖縄の役割、
日本とアジアの架け橋、こういったところに沖縄のあるべき姿が
あるんではないかと思う。




いつかまた切り捨てられられるような沖縄では、できない。
この質問にこんなに長く答えていいのかということもあるかも知れないが、
思いがないとこの問題には答えられないんですよ。

この思いをみんなでどういうふうに共有して、何十年後の子や孫にね、
私たちの沖縄は何百年も苦労してきたんだから、今やっと沖縄が
飛び立とうとしているわけだから、そしてそれは十二分に可能な
世の中になってきているんで、そういう中で飛び立とうとしているのを
足を引っ張ろうとして、また沖縄はまあ振興策もらって基地を
預かったらいいんですとなどと言うものが、これから以降も
こういうのがあったら、沖縄の政治家としてはこれはとても
今日までやってきた政治家が、私と別なことを言っている場合には、
私からすると容認できないという思いだ。」






――(記者の質問)承認撤回は移設阻止の最後のカードといわれているが)


「撤回というと、まず裁判に勝たないといけない。
本会議でも話をしたので問題ないと思いますが、
今の日本の米国に対しての従属は、日本国憲法の上に
日米地位協定があって、国会の上に日米合同委員会がある。
この二つの状況の中で、日本はアメリカに対して何も言えない状況がある。



これがもし違うなら、
『そうじゃないよ。ちゃんと憲法が地位協定を抑えているよ、
国会も日米合同委員会から報告させているよ』と
日本の最高権力がそうやっているならいいが、
F15から何から日米合同委員会で決められて、
何も問題がないということで国会でも議論にならない。」



「日本だけが寄り添うようにして米国とやっている。
それに関して司法も行政もなかなか日本国民、
今の現状からいうと厳しいものがあるかも知れませんが、
そういう動きは必ず日本を揺り動かす。
今の日本の動きではアジアから締め出されるのではないか
というものを感じている。

その辺のところは撤回以外にも何か変わる要素がありますか、
というところにも入ってくると思いますね。」(以上)




                 *

翁長知事が誕生したさいのスローガンは、
「オール沖縄」「イデオロギーよりアイデンティティー」だった。
これにより、沖縄の民衆運動は大きく方向転換した。

以後、沖縄で高く掲げられている旗は、「自己決定権」の獲得である。



翁長知事が、がんとの闘病でやせ細った体から声を振りしぼって語った
長時間の「記者会見」は、いわば知事の「遺言」となった。

一貫して語られているのは、日本政府による「不条理な仕打ち」への怒り、
そして沖縄の「自負」と「自己決定権」の獲得・確立への意志である。                              

(了)

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